| 平成19年度 青山学院校友会千葉県東葛支部総会 平成19年10月27日 福岡先生と松戸 福岡先生のプロフィル (ウィキペディア) ・ |
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| 福岡伸一先生講演 | |||
| 『もう牛を食べても安心か』 著作 | |||
| 食べること・・・「生きている」ということ | |||
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| 皆さん、こんにちは。福岡伸一と申します。本日はこのような形で青山学院の同窓会にお招きいただきまして、まことにありがとうございます。 今、過分のご紹介をいただいたように、今からもう40年ぐらい前ですが、父の官舎が松戸のこの山を登ったところにあり、小学校の一時期を過ごしたことがありました (相模台小学校 NHK 「 課外授業 ようこそ先輩!」 に出演)。 ですからここに来るのは非常に懐かしい気持ちでいっぱいです。 大学は関西のほうに行きましたが、数年前に青山学院に採用していただいて、やっぱり都会の大学はいいなと思って気持ちよく過ごさせていただいております。 |
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生命科学 私は生命科学という命の問題を扱う学問をしております。 たまたま講談社現代新書というところからこの生命の問題について書きました『生物と無生物のあいだ』という本が、予想外にたくさんの読者の方に受け入れられて、多く売れることになりました。そのためNHKの番組ほか、いろいろなところに引っ張り出されて、皆さんのお耳や目を汚しているところでございますが、青山学院にも理科系の学部がありますので、こんな先生もいるのかと思っていただければ、広報活動の一環にもなりますし、私自身も研究者として情報を発信できると同時に、税金を使って仕事をさせていただいているわけですので、研究についての説明責任ではないかと思っております。 今日は皆さんに私の研究の一端と申しますか、どういうことを考えているのかということについて、お話しさせていただきたいと思います。 狂牛病 私は狂牛病という病気のことを研究してまいりました。 狂牛病というのは、最近はメディアに取り上げられることも少なくなりましたけれど、一時は牛丼が食べられなくなって、それを惜しむ人が牛丼屋さんの前に並ぶ、となどということがテレビや新聞で報道されたことをおぼえていらっしゃる方も多いと思います。 しかし狂牛病というのは、牛丼が食べられるか食べられないかという表面的なことにとどまらず、実は人間と生命、あるいは人間と環境の問題をめぐって非常に深いことを私たちに問いかけているのです。 狂牛病は難しく言いますとBSEと言います。 狂牛病というのは何も俗称ではなくてイギリス人が、牛が震えて同じところを回って倒れていくのを初めて目の当たりにしたとき、一体食の安全はどうなるのか、あるいは自分たちの未来の安全はどうなるのかという不安におののいて、Mad Cow Disease と、この病気を呼びました。日本ではそれを直訳して「狂牛病」としたのですが、実はこの病気は人災といっていいものだったのです。 「牛が狂った病気というよりは、人が牛を狂わせた病気である」ということなんです。 それを知っていただくためには、狂牛病がどこから来てどこへ行くのかということについてお話ししないといけないと思います。 狂牛病出現 今から20年ほど前までは、この地球に狂牛病という病気は存在しなかったのです。 1985年に初めてイギリスで狂牛病があらわれました。 イギリスの南にケント州という州がありますが、そこの農場で、ふだんはおとなしいはずの乳牛が牧場主に向かって突きかかってくる、あるいは同じところをグルグル回る、立てなくなる、柵に体をこすりつけたままよろけてどんどん衰弱していくという奇妙な症状があらわれました。 牧場主はびっくりして付近の獣医さんに往診を頼み診てもらったんですが、何が起こっているのか全くわかりませんでした。 それで終わってしまえば「謎の病気」として沙汰やみになってしまったはずでしたが、そうはなりませんでした。なぜならば同じ牧場で全く同じ症状を示す牛が次々とあらわれてきたからです。そして時を同じくして、イギリス全土でこの奇妙な牛の病気が次々と大発生してきました。 イギリス政府はびっくりして、これは何かとんでもないことが起きているに違いない、と調査を開始しました。 最初は、牛が農薬に中毒をしているのではないか、あるいは土壌に含まれている重金属が原因なのではないか、などの可能性が浮かび上がってきましたが、可能性は1つ浮かび上がり1つ消え、1つ浮かび上がり1つ消えていく・・・・。 なぜ消えていったかというと、イギリス全体で同時多発的に起こっていた事実に対する共通の原因となり得るものが何もなかったからです。 そして原因となる可能性を持つものがどんどん消え、最後に「えさ」が原因ではないかということにいたりました。 それまで一般の人たちは、「草食動物である牛が近代畜産業のもとで何を食べているか」ということを全く知らなかったのです。 近代畜産業のもとでは牛はもはや草食動物ではなくなっていたのです。 草食動物を肉食動物に改造 イギリスは寒冷気候なので、十分な安いトウモロコシや大豆を家畜のえさにすることができません。 そこで彼らは、できるだけ安くてしかも便利なえさを探し出しました。それは付近の農場で死んだ牛や豚や羊の死体、あるいはけがをして使いものにならなくなった死体を集めてきて大鍋で煮て、骨を外して脂をこし取って残った“肉かす”を乾燥してつくった「肉骨粉」というものを、牛にえさとして与えてきました。 つまり草食動物の牛は、知らず知らずのうちに肉食動物に改造され、しかも「強制的な共食い」をさせられていたわけです。 特に乳牛のミルクは商品になりますから、乳牛はのべつ幕なしに切れ目なく妊娠させられます。 そして仔牛は生まれたらその日にもうお母さん牛から引き離されて、別のところへ連れて行かれます。一瞬でも仔牛が「お母さんのお乳を吸うという幸福な体験」を味わうと、母子を分離するのが非常に困難になりますから、何も知らないうちに牛は別のところへ連れて行かれます。そしてその仔牛は、できるだけ早く次の乳牛に仕立て上げるために「えさ」を食べさせなければいけない。 「えさとしてのミルクをあげてミルクを取る、というのは経済的に不効率」ということで、「ただ同然の死体からつくり出した肉骨粉を水で溶いたもの」を、ミルクのかわりに彼らは飲まされてきました。 本来自然が用意した食物連鎖網を解体して、あるいは組みかえて牛を促成飼育しようとしたことに、狂牛病発生の一因があったのです。 羊毛の国・イギリス・・・羊のスクレイピー病 羊の病気にスクレイピー病というものがあります。 イギリスでは羊毛産業が昔から盛んなので、羊がたくさん育てられてきました。その羊の中に、今から思うと狂牛病の羊版であるスクレイピー病が、非常にまれな確率ですが風土病としてイギリスの片田舎で何年かに1回ほど起こっていました。 それは羊固有の病気で、病原体は羊の中に封じ込められておりましたが、その死体の中に、スクレイピー病で死んだ羊がまじり込んでいました。そして、死体をリサイクルして草食動物に与える、という経済性を優先した組みかえが、羊の病気を牛に乗り移らせてしまったのです。 しかし、問題はこれだけではありませんでした。 文献上、羊のスクレイピー病は、イギリスではもう何百年も前から存在していたことがわかっています。また「死体をリサイクルして“えさ”にかえて牛に与える」、これはレンダリング産業という名前がついて、イギリスでは20世紀の最初からずっと営まれていた一大産業でした。だからスクレイピー病もあったし、肉骨粉をつくるという仕組みもあったのに、1985年までは一度も狂牛病は引き起こされず、その頃急激に立ちあらわれてきた。 そこにもうひとつ大きな人災的な側面がありました。 狂牛病の特徴・・・長い潜伏期 狂牛病のひとつの特徴は、潜伏期が非常に長い病気だということです。 潜伏期というのは、病原体に出会ってから症状があらわれるまでにどれぐらい時間がかかるか、ということです。 例えば私たちがインフルエンザに感染する、あるいは何か悪いものを食べて食中毒になる、そういう潜伏期はせいぜい二、三日ですね。だれか風邪を引いている人とちょっと近くで会話をして、その風邪をもらって二、三日して自分も熱が出る。あるいはカキを食べて当たったという場合も、二、三日で病気が出てきます。普通の病気に病原体にとって、その新しい宿主の中で増殖して悪さをし出すまでに、それぐらいの時間があればはいいんです。 しかし狂牛病の場合は、非常に不思議なことなんですが、食べたえさが汚染されていたとして、そのえさの中から病原体が消化管をうまくすり抜けて体の中に入り、最終的には脳を冒していくのですが、脳に達して増えていくのに、狂牛病の場合は5年という長い年月がかかります。 もし人にうつれば10年、20年という潜伏期がかかると言われています。とすると、1985年に狂牛病の大発生が起こった、その5年ぐらい前に何か特別なことがあったがゆえに狂牛病が発生したということになります。 オイルショックと狂牛病 1980年ごろ、一体イギリスでは何が起こっていたのでしょうか。 ここにおられる方は皆さんお若いので、1970年代から80年にかけて世界がどうなっていたか知らない方もいらっしゃるかもしれませんが、1970年代中期から後半、世界は第4次中東戦争というものに明け暮れていたんです。そして石油の値段が上がったり下がったりするという時代が続きました。日本でもオイルショックというのがあって、スーパーにトイレットペーパーを買う人が並ぶという奇妙なことが起きたんですけれど、石油の値段が上がって値上がりするのはトイレットペーパーだけではありません。 肉骨粉をつくっていたレンダリング産業もその直撃を受けたのです。 原料はただ同然の死体で、それを大鍋で煮る、あるいは熱風を当てて乾燥させる。そこには石油が絡んでいて生産コストを左右しました。その石油の値段が1980年ぐらいにピークを迎えました。 燃料費が上がってしまうと、安い飼料をつくるというメリットがレンダリング産業に失われてしまいます。 そこで彼らは何をしたかというと、原料費を節約するために、その死体から“えさ”をつくる工程を大幅に変更してしまったのです。 それまでは、大鍋で圧力をかけて2時間以上死体をグツグツ煮込んでから次のプロセスに移っていました。それを30分程度でやめてしまう。あるいは乾燥工程も、パラパラのパウダーになるまで熱い熱風を当てて乾燥していたものを、生乾き状態でやめてしまう。 いずれも燃料費を節約するための工程の変更だったわけですが、それが裏目に出てしまった。 つまり、たとえ死体の中にスクレイピー病の病原体がまじり込んだことが過去にあったとしても、さすがに2時間圧力下で煮詰められれば病原体は死滅したことでしょう。 ところがその工程を30分程度に縮めてしまった結果、病原体が危険なレベル以上に残存させることに手を貸すことになってしまいました。そうした飼料が1980年ごろから市場に出て、それを食べた牛が5年を経て一斉に狂牛病を発生させた。そうしたことが狂牛病の背景にあったのです。 食物連鎖を組みかえたこと、原油の価格が上がったので工程を変えたこと、それは局所的に見ればいずれも「早く安く牛を飼育するための方策」でしたが、そのことが自然のバランス、私の本ではそれを「動的な平衡」と呼んでおりますが、それを組みかえたことによって、局所的には効率がいいようであっても、環境全体あるいは生命系全体で見ると非常に大きなひずみを与えてしまい、その「反作用」といいますか、「復讐」として狂牛病がやってきたとも言えるかもしれません。 狂牛病・・・牛から人へ しかし、話はここで終わるわけではありません。 今度は狂牛病にかかった肉を食べた人間に狂牛病うつることがわかってきました。 イギリスで肉骨粉が狂牛病の原因だということがわかったのが1988年。 1985年に発生して原因の究明に3年が費やされましたが1988年にどうやら“えさ”がおかしい、ということで肉骨粉の使用をイギリス政府は停止しました。しかし潜伏期は5年あるので、その停止の効果があらわれるのは、1988年に禁止した以降に生まれた牛が主要な牛を占める1992年以降ぐらいになって、狂牛病はピークを過ぎ、発生が減少していきました。 しかしそれまでに20万頭近い牛が狂牛病にかかって倒れてしまったのです。 しかし一応は減少に転じたので、肉骨粉に原因があることをつきとめ、それを停止したことは、正しい判断でした。 イギリス政府はそれで一安心していたのですが、今度は1990年代の中ごろ、94年、95年にかけて、狂牛病に罹った人があらわれてきました。 これはヤコブ病という名前で呼ばれている奇病で、まずは記憶の障害が出てきます。 そして脳が冒されて、真っすぐ歩けなくなったり、へたり込んだり、意識を失って自分で御飯が食べられなくなり、最終的には死んでしまう、というのがヤコブ病です。これはまさに狂牛病の人間版といっていい病気ですが、この病気はそれまでは若い人がかかることは全くありませんでした。 ところが1990年代の真ん中ごろ、94年、95年にかけて10代、20代の若者にヤコブ病の発生数が急に増えてきました。10人、20人という規模で年間にヤコブ病の人があらわれてきたのです。 イギリス政府は驚き、遺族の許可を得て亡くなった方の脳を調べてみると、脳細胞にいっぱい穴があいていたことがわかりました。 穴があいているということは脳細胞が死滅して脱落しているということで、脳がまるで使い古したスポンジのように見えていました。 ですからこの病気はスポンジ脳症と呼ばれているんですが、その症状は、実は狂牛病にかかった牛の脳と全く同じだったのです。 イギリス政府は、これまで狂牛病はあくまでも家畜の病気で、人にはうつらないと考えていたのですが、狂牛病の肉を間違って、あるいは知らず知らずのうちに食べてしまえば人も狂牛病になり得るということを、1996年に初めて公式に認めました。 「人間が行った自然の組みかえ」によって、本来は羊の風土病だったものが牛に、そして牛から人へと乗り移ってきたしまったのです。 1996年に人にうつるということが発表され、ニュースは全世界にめぐってショックをもたらしましたが、日本はこの頃はまだ「対岸の火事」程度にしか考えていませんでした。 ですから農水省は、A4の紙一枚に「肉骨粉の使用は自粛されたし」、という通達を各都道府県に送っただけで、そこには何の監視も罰則もつけず、いろいろなことは野放し状態のままになっていました。 日本とアメリカにおける狂牛病の出現 日本が牛の狂牛病を目の当たりにしたのは2001年9月10日のことで、ちょうどこの千葉県の白井市というところで狂牛病の第1症例が発見されました。そこで日本にも狂牛病は飛び火していることがわかったのです。 そしてその後、2003年のクリスマスのころ、今度はアメリカで狂牛病が発見されました。 アメリカはそれまで、自分の国の牛はクリーンだから狂牛病なんか存在しないと豪語しておりましたが、アメリカにも狂牛病は潜んでいた!! 皆さん、アメリカに牛はどれぐらいいるかご存じでしょうか? アメリカに牛は1億頭います。日本の人口と同じぐらいです。その中で見つかった狂牛病は1例ですが、1億頭の牛の全体では一体どのぐらい潜んでいるかわからない。 日本は狂牛病の発生国からは肉を輸入しないという原則を持っていました。ですからイギリスからは肉を入れていませんし、ヨーロッパの狂牛病汚染国からも肉を入れていません。その原則をアメリカに適用して、アメリカ産牛肉の輸入を2003年暮れにストップしました。 これは日米間の貿易問題ひいては外交問題に発展して、さまざまな紆余曲折を経て、その結果として牛丼のメニューがなくなるということなど、いろいろな問題が起こりました。 イギリスで大発生したこの病気が、なぜ日本やアメリカに飛び火していったのか。 ここにもうひとつ大きな人災的側面がありました。 1988年、つまり肉骨粉が狂牛病の原因であり、その中にスクレイピー病の病原体がまじっているということがわかった時点で、イギリス政府は肉骨粉の使用を禁止しました。 それは正しいことでしたが、彼らイギリス政府は、何とイギリス国内でだけ肉骨粉を牛に与えることだけを禁止したんです。 ですから、イギリス国内のレンダリング産業は引き続き肉骨粉をずっとつくり続け、国内でだぶついた肉骨粉はどんどんと輸出に回してしまったのです。 これは言うなれば国家的な犯罪です。 しかし、それがまかり通りイギリス国内でつくられた肉骨粉は、輸出に回され、ヨーロッパあるいはアジア、アメリカに飛び火していったのではないかと考えられています。 これだけ見ても、狂牛病がいかに「人災的な側面」を持っているかということが明らかです。 日本の狂牛病対策 日本はこれに対してどういうふうに対応したか。 実は2001年に狂牛病が発生したとき、9月10日と言いましたが、実はその翌日の9月11日はニューヨークでテロ事件が起きて世界がパニックになりましたね。 9・11の前日、日本において長い混乱をもたらす狂牛病問題の第1日が起こったのです。 日本人は食の問題に対して非常にセンシティブに、敏感に反応します。狂牛病が起きたとき、牛肉の消費は急速に落ち込み、多くの焼き肉屋さんが閉店を余儀なくされるという事態が起こりました。そこで日本の政府は、狂牛病の対策として世界的に見ても非常に厳しい対策を立てました。 それは4つの柱から成り立っているものでした。 1つは、食肉となる牛はすべて肉になる前に脳の一部を取って検査をして、そこに異常たんぱく質が検出できるかどうか、というエライザテストという検査キッドを使ったスクリーニングをします。 それによって狂牛病に感染しているかどうかがわかるのですが、その検査を必ずすべての牛にするという「全頭検査」を行うことにしました。 この検査は大体1頭2,000円かかります。日本の牛はアメリカに比べてずっと少なく、年間に市場に出てくる牛は130万頭ぐらいです。 その130万頭×2,000円で26億円ぐらいの予算が税金から賄われますが、とにかくすべての牛はまず全頭検査によってチェックをする。 もしその中に狂牛病が見つかったら、その牛は1頭丸ごと焼却処分して、決して人間の口に入らないようにするという対策を立てました。 2番目は、特定危険部位を取り除くということです。 これは一番最初の全頭検査でまず一次的にスクリーニングをします。しかしどんな検査にも必ず検査漏れが起こり得ます。狂牛病というのは非常に潜伏期が長いので、感染のごく初期の牛であれば脳がまだ十分冒されていなくて、脳を調べてもわからないことがあり得ます。また非常に若い牛で感染の初期であれば検査できない時期があり、病原菌を持っていながら検査をすり抜けた牛が私たちの体に取り込まれれば、危険は起こり得ます。 そこで全頭検査のバックアップシステムとして、例えそこで白と出ても、その牛から次の4つの部位は取り除くということになりました。 1つは脳、そして脳から背骨の中に出ている太い神経繊維である脊髄、そして舌のつけ根にある扁桃腺、そして消化管のずっと奥のほうの盲腸のちょっと上の回腸と呼ばれる部分を取り除くことにしました。 なぜこのような部分が取り除かれるかというと、この病気の病原体は好んでこうした部位取りき、集中して集まってくるからなんです。 ですからこの部分を取り除けば、もし仮にその牛が感染牛であっても病原体をほとんど取り除けることになる。 そういう意味で特定危険部位を取り除くことが義務づけられました。 「全頭検査とこの特定危険部位の除去」という2本立てで、危険な牛がマーケットに入ってくるのを防いだのです。 3番目の対策は、もともとこの病気の原因をつくった肉骨粉、つまり動物性の飼料を牛に与えることを完全に禁止です。 4番目はトレーサビリティーというものをしました。 トレーサビリティーというのはトレースできること、つまり牛の履歴を追跡できるということです。 具体的には「牛の完全な戸籍」をつくることです。 日本の牧場をごらんになった方がいれば気づかれたと思いますけれど、牛は日本で生まれると、すぐに耳に黄色い耳標と呼ばれるタグをつけられます。そしてそこには10桁の数字とバーコードがついていて、その情報が背番号となって福島県にある中央コンピューターに登録されます。 その牛はどこで生まれて、何を食べさせられてその農家に行って、そこでいつまで飼育され、いつマーケットに出たかという履歴が全部逐一記録されます。ですから皆さんがスーパーに行って牛の肉を買うと、ラベルにこのトレーサビリティー番号が書かれています。それをインターネットのサイトに入れると、その牛がどこから来て、いつ、だれが生産したかというのが一目瞭然にわかるようになりました。 これは、消費者にとってその牛の履歴書がわかるので安心を与えるという意味がありますが、もうひとつ非常に重要なデータを与えてくれます。 それは一番最初に申し上げた全頭検査によってもしその牛が感染していることがわかれば、その牛の履歴がたちどころにわかるということです。 いつ、だれが、どこで、何を食べさせたか・・・・。 そのことがわかれば、感染牛が排除できると同時に、その牛と同じ頃に生まれて、同じものを食べていた牛の集団が特定できます。そしてそうした牛も一時隔離することができるようになります。 全頭検査、特定危険部位の除去、トレーサビリティー、肉骨粉を使わない、という4つの柱によって、日本の牛肉の安全性は世界的に見ると最も厳しい安全施策をしいて、考えられる最高の安全対策を行うことができるようになりました。 その結果、日本では牛肉の消費がもとに戻ってきて、価格も安定していて、日本の国産牛は少なくとも安心して食べられる状況になっています。 アメリカの狂牛病検査方法 本来であれば、アメリカ産牛肉に狂牛病が発生したということなので、アメリカも日本と同じような安全基準を布いてくれれば、内外の安全基準は同一になるので、その時にアメリカ産牛肉の輸入が再開されてしかるべきだろう、というのが普通は合理的な考えでしょう。 しかし、1億頭の牛を抱えるアメリカは全頭検査などというものをやるつもりはさらさら無く、むしろ日本のやり方に圧力をかける形で輸入再開を迫ってきたのです。 その間にはさまざまなやりとりの経緯や妥協の産物がありましたが、結論だけいうと2005年のクリスマスに、日本は条件つきで輸入を再開することにしたのです。 その条件というのは、「生後20カ月以下の若い牛であれば全頭検査をしなくてもよく、特定危険部位の除去さえすればアメリカ産牛肉は入れていい」、ということでした。 ところが2006年1月に成田に着いたアメリカ産牛肉を調べてみると、その中に背骨がゴロリと入っていたのです。 背骨というのは特定危険部位の脊髄を含む骨なので、そんなものが入っているということは「違反以前の違反」といっていいものでしょうが、それが堂々とまかり通っていたわけで、これでは安全を守れない、ということで再びアメリカ産牛肉の輸入をストップしました。 しかし、その後また議論が蒸し返されて、2006年夏にもう一度同じ条件で輸入が再開され、現在に至っております。そしてアメリカは今、日本にいろいろな圧力をかけて全面的に輸入を再開させようとしています。 アメリカは、全頭検査を全くやっていません。 非常にわずかな牛を抜き取り検査しているだけです。 これでは狂牛病を見つけることはできませんし、どれぐらいの規模で狂牛病に汚染されているかということもわかりません。 日本では全頭検査のおかげで、今まで33例の狂牛病が発見されました。それはすべて全頭検査によって事前に発見されている数です。この検査法は有効に機能しているのです。 アメリカは日本の20倍以上の畜産規模があるので、単純に計算すると“えさ”が汚染されていて日本で狂牛病が33頭見つかれば、アメリカでは数百頭の狂牛病が見つからないといけないのですが、これまでに3例しか見つかっておりません。 それはアメリカ産牛肉が安全だからではなくて、検査をしていないから見つかっていないと私は思います。 またアメリカでは、特定危険部位の除去はやりましたが、脳や脊髄を取るのは30カ月以上の老齢牛だけでいいということになっています。 この点も不十分ですが、それがアメリカではスタンダードになっている。 そしてアメリカではなんと、肉骨粉をいまだにつくり続けていて、脳や脊髄が肉骨粉の原料になっています。 日本は特定危険部位を取り除いたらそれは全部焼却処分していますが、アメリカでは肉骨粉をつくっている。 さすがにそれを牛に与えることは禁止しておりますが、豚や鶏に与えることはいい、あるいは魚のえさにするのはいい、また肥料としても使える、としております。 牛と羊と豚と鶏を混合で飼っているような農家もたくさんいますから、間違って使ってしまったり、余って使ってしまったりすることは幾らでも起こり得るわけです。この点でも不完全です。 そしてトレーサビリティーという背番号制はアメリカの牛には全然つけられておりません。ですから一体自分のうちに何頭の牛がいるかわかっていないカウボーイもいっぱいいることでしょう。 そういった状況ですから、20カ月以下の牛で特定危険部位の除去さえすればいいという条件も、どれぐらい守られているか甚だ疑問です。 そのようにアメリカ産牛肉の危険性ははっきりと見えないのですが、貿易問題となりますと、日本はある意味でひざを屈する形でアメリカ産牛肉を受け入れてしまうのです。 私がこうした話をすると、メールとか電話でいろいろなところから大変なクレームを受けます。 それはやはりこの問題にはさまざまな利害が絡んでいるからでして、アメリカ産牛肉をできるだけ早く受け入れて、安いメニューをつくりたい人たちもたくさんいることでしょう。 それは「経済効率上」はそうなのかもしれませんが、「人間の食の問題」という観点から「食の安全」は第一番に優先されなければいけない問題だと、私は思っています。 牛丼とハンバーガー
いえ、そんな上等なもんばかりじゃないんです。(笑) 一見ヒラヒラの肉なのでしゃぶしゃぶ肉みたいなのを使っているんじゃないか、と思うかもしれませんけれど、なかにはアメリカ人は決して食べない部位の肉で、横隔膜に付随している骨に張りついた腱のような部分を機械的に引きはがして、それを薄く切って濃い味つけをしたものもあるんです。 (編者注:通称ハラミといって、焼肉のメニューにもあります。結構いけます)。 price 安い価格を実現するためにブラックボックスになっている食の現実がある、というのが、現代の食をめぐるさまざまな問題点の1つだと思います。 食の安全をめぐって、精肉の偽装事件が新聞をにぎわせました。そこの社長は非常に独特のキャラクターで、テレビでいろいろなことを言って集中砲火を浴びましたが、彼が言った中でひとつだけ私はうなずけるところがありました。 それは彼が、「・・・偽装したのは悪いけど、消費者も悪いんだ・・・」と。 そこで、ますます彼は世論の集中砲火を浴びましたが、私がなぜ頷けるかというと、現在私たちが何かを食べるとき、基本的に「価格を判断基準」としているからです。 1円でも安ければそれを選ぶ、あるいは10円安ければ遠いほうのスーパーに行ってしまう、という消費行動が「食のさまざまなプロセスをブラックボックス化してしまっているのではないか」と思います。 たとえば安いハンバーガーをつくるために、牛の安い部分の肉を少しずつ、いろいろなところから集めて、巨大ななシステムで均一化して量産する、といった見えないプロセスというものもあるのです。 私たちのおじいさん世代の方は、「お豆腐は夜食べるものじゃない」と言ったものなんだそうです。 今の若い人たちにこれを言うと、「一体何でですか」と言われるのが関の山ですね。 お豆腐はお豆腐屋さんが朝早く起きてつくって、自転車に乗せてプープーと売りに来る、それをお母さんが朝の御飯のときにおみそ汁にして食べる。 それが普通の食べ方で、それを昼まで置いておくと傷み出し始めてしまうんです。そして夜まで置いておくと、お豆腐は食べられない状態になってしまう。つまり、食べ物には「つくり手とそれに伴うプロセス」というものがあって、そこにはちゃんとした時間が流れているんです。 ところがそうしたことが現代社会では全く見えなくなっていて、肝心なプロセスの部分は全部だれかにお任せしてしまっている。 そして、お任せしているがゆえに安くなっている部分もありますが、それが全く見えなくなっているところに「経済効率」が加速されて入り込み、狂牛病のような「草食動物を肉食動物にしてまで早く安く、いろいろなものをつくろう」とすることが起こっているのではないでしょうか。 「食べる」ということ ですから、狂牛病が問いかけた問題というのは、私たちが「食べる」ということは一体どういうことなのかということをもう一度問いかけていて、1円でも安いものを食べるという行動はどこかおかしいんじゃないかということを問いかけていると思います。 エンゲル係数というものがありますよね。 エンゲル係数は経済学の用語で、所得に対して食費の出費比率。 ですから所得が大きくなると、食費はぜいたくなものを食べてもそんなに変わりませんから、「所得に対する食費の割合が低くなれば、それは豊かさの証明」、ということになっています。 第二次世界大戦後間もないころの日本人のエンゲル係数は、60%を超えていたそうです。つまり収入の半分以上が食費に充てられて、日本人は食うや食わずの生活をしていました。 翻って現在、エンゲル係数はどれぐらいか皆さんご存じでしょうか? 食糧自給率が4割を切って大変だと今言われていますけれど、それ以上にエンゲル係数は急速に低下していて、今、平均で23%と言われています。 確かにそれは我々日本人が豊かになった証拠ともとれますけれど、実は所得が増加しているとともに物価も上昇しているわけで、そんなに簡単にエンゲル係数が下がるものなのだろうか。そこにはやはり、「食のグローバリゼーション」と「プロセスが見えなくなってきた」ということと引きかえに「安いものが大量につくられて、私たちは1円でも安いからそれを選ぶという食行動」が潜んでいるから、エンゲル係数が低くなっている、とも読めるのではないかと私は思います。 あと10分ほどになりましたので話をまとめていきますけれど、「一体なぜ私たちは毎日毎日食べ続けなければいけないか」ということは、食の問題、ひいては「生命の問題」に帰着しているのです。 最近はレストランでも「ハンバーグ定食、893カロリー」などとカロリーが書いてあります。ですから多くの人は食べ物というのはカロリーである、つまり燃料であって、それを燃やすことによって私たちは生命活動を維持している。つまり私たちは自動車のエンジンのようなもので、ガソリンが要るから食べ物を食べると解説しがちです。 しかし、食べ物をすべてカロリーに計算する、エネルギー源としてだけ見るということは、食べるという行動の非常に大事な側面を見失わせてしまっていることになります。 というのは、食べ物を食べるということは、実は「私たち自身の構成分子を入れかえている」ということなんです。 もちろん食べ物の分子は燃えてエネルギーになって、燃えかすとして二酸化炭素と水になる部分もありますが、それだけではなくて、食べると「食べ物の分子は体の隅々まで行き渡って、本来そこにあった分子と置きかわっていく」のです。 それはものすごい速度で常々変換しています。 ですから、今皆さんがこうやって同窓会をやって来年もう一度この同窓会をやると、今この時点で皆さんの体をつくっている分子や原子は、来年の今ごろほとんど1分子もそこにないんです。 「生きている」ということ これは非常に意外なことかもしれないですけれども事実でして、皮膚や毛はどんどん変わることが実感できるでしょうが、目に見えない骨の中身であろうと脳細胞であろうと、すべての部分はその細胞が死んで置きかわるということだけではなく、生きている細胞の中身自体がすごい速度で入れかわって食べ物の分子と取りかえられているんです。 「生きている」ということは「その分子の取替えの回転をとめない」ということなんです。 そしてその回転をとめないがために私たちは食べ物を必要としているのです。 なぜこの回転をとめてはいけないかというと、そこに生命の大きな仕組み、あり在り様が隠されており、生命の秩序を維持しているのです。 人は何もしなくても80年も90年も何とか生きることができます。 しかし、はじめからどれほど頑丈につくったマンションでも、10年、20年たてば大規模修繕していろいろなところを取りかえないといけません。 ところが生命現象は、最初からがっちり何かをつくる、というやり方をしないのです。 それは、自分の体が壊れてしまうよりも、「それに先回りして小さい部分を常に分解しながら合成する」、その「自転車操業」をミクロのレベルで体のありとあらゆる部分でやり続ければ、時間の流れに対抗して80年も90年もメンテナンスフリーで生命現象という秩序を保ち続けられる。 生命は38億年の進化の中でそうした方法を採用し続けてきたのです。 38億年の生命の歴史は現在も引き続けられています。そしてその流れをとめないために食べ物を食べ続けなければいけない。 ですから食べ物の分子というものは私たちの体そのものであり、何を食べるのかというのがいかに大事かということは、そのことだけでもわかるのではないでしょうか。 ただ、この自転車操業は永遠にこぎ続けることはできません。自転車をこぐ速度はだんだんだんだん弱まっていってしまいます。そしてついには止まってしまいます。 「死」・・・そして新しい生命へ 宇宙には「エントロピー増大の法則」というものが働いています。 宇宙における「エントロピーの法則」は生き物のなかのミクロの微生物世界にも存在し、微生物世界の秩序も破壊される方向にのみ増大します。 しかし生命は常に「秩序破壊というエントロピー増大の法則」に“先回りしてミクロのレベルで壊して、そしてつくり返らせる”から、私たちは何とか生命を維持できているのです。 しかし“つくりかえ”は永遠に続けることはできず、どこかの時点で「エントロピー増大の法則」に私たちの「自転車こぎ」は追い越されてしまいます。 それが生物学的にいう「死」です。それはどうすることもできない。 しかしそうなった後、私たちを構成する分子は環境中に散らばって、また別の生命の一部になり、あるいは海の一部になり、それがグルグルグルグル回るというのが、この地球環境ということなのです。 「環境を大切にしなければいけない」、とさまざまなところで叫ばれています。 究極的に生命はそうした地球環境全体の大きな分子の流れの中にあって、私たちはその中のたまたま短い時間帯に分子が寄り集まってできているもののようなものだ、という一種のあきらめ、諦観から、別の希望が発生してくるんじゃないか・・・。 「環境を考えるというのは生命を考えること」であり、それは結局「その生命の有限性」というものを考えることではないか・・・と、私は思っております。 ご静聴ありがとうございました。(拍手) | |||
| ―― 了 ―― テープ編集文責 稲葉 | |||
講演を終えて 『もう牛を食べても安心か』 福岡先生の著作 ![]() |
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| ushi 福岡伸一著 『もう牛を食べても安心か』 目次 |
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mokuji 目 次 |
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| はじめに ──── 狂牛病が問いかけたもの 環境からの揺り戻し/生命は「流れ」の中にある 第一章 狂牛病はなぜ広がったか ──種の壁を越えさせた“人為” スクレイピーと呼ばれたもの /先駆者、キュイエとシェル 狂牛病アウトブレイク/レンダリングという名のリサイクル もう一つの人為/種の壁/イギリスの犯罪/ 新型クロイッフェルト・ヤコブ病/判定は人獣共通感染症 【コラム1】狂牛病をBSEと呼ぶべきか? 【コラム2】海綿(スポンジ)状脳症に共通的な特徴 【コラム3】もう一つのヤコブ病 ── 日本発、薬害ヤコブ病事件 第二章 私たちはなぜ食べ続けるのか ──「動的平衡」とシェーンハイマー なぜタンパク質を食べ続けなければならないのか/ シェーンハイマーの実験/生命のジグソーパズル/ 動的平衡のもつ意味/シェーンハイマーの一生/生い立ち/ 突然の死/シェーンハイマーの残したもの 【コラム4】タンパク質代謝の研究前史 第三章 消化するとき何が起こっているのか ──臓器移植、遺伝子組み換えを危ぶむ理由 消化管のセンサー機構/作業仮説を立ててみた/ モニター分子を追いつめる/ 食物と生体とのダイナミックな応答/消化の生物学的意義/ 「遠いところのものを食べよ」/臓器移植という蛮行/ 生命連鎖から遠い考え/実質的同等性の陥穿 【コラム5】科学実験の失敗をめぐる判断の難しさ 第四章 狂牛病はいかにして消化機構をすり抜けたか ──異物に開かれた「脆弱性の窓」 子牛に与えられたスターター/母子免疫の巧妙な仕組み/ アレルギーの引き金か 第五章 動的平衡論から導かれること ──記憶は実在するのだろうか 記憶はどのようにして保持されるのか/記憶物質の幻 マコーネルが作った科学雑誌/アンガーの実験/ ラットから金魚へ/記憶は信号の流路パターンである 生み出された物語/見てはいなかったはずなのに…… 【コラム6】グルタミン酸をとると頭がよくなる? 第六章 狂牛病病原体の正体は何か ──未知のウイルスか、プリオンタンパク質か ホルマリンに漬けても無毒化しない!/考えられない観察結果/ 病原体は進化する/核酸をもたない生物?/ グリフィスの思考実験/クールー病とヤコブ病/ 孤発性ヤコブ病はなぜ起こるのか/プルシナー登場/ プリオン説とは何か/言葉の威力/プルシナtの独走/ ノーベル賞への道/プリオン説へのこれだけの疑問 第七章 日本における狂牛病 ──全頭検査緩和を批判する 政府の対応/アメリカでの発症と日本の動き/ 全頭検査見直し論/全頭検査を行う意義/ 検出感度向上の努力を/アメリカ産牛肉の安全性/ 特定危険部位さえ除けばいいのか?/血を介しても伝染するけ/ 感染源および感染経路/「リスク分析」という欺瞞 【コラム7】エライザ法とウエスタンプロット法” おわりに ──── 平衡の回復 自然が開始したリベンジ/すべてのものは繋がっている |
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| 主な参考文献 | |||
hajimeni |
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| はじめに ── 狂牛病が問いかけたもの (改行文字着色:“ときわぎ”) 2001年9月10日、夕方のテレビはおりしも日本に上陸した大型台風のニュースをあわただしく伝えていた。奇しくも9・11テロの前日のその日、ある意味では、アル・カイーダよりも震撼すべき、もう一つの不吉な風の上陸をそのニュースは続けて報じた。後になって人々は知ったのだが、それは人間が環境に対して行った操作的な干渉に対して、自然がその平衡を回復するために開始した、長い報復の第一歩が日本に立ち現れた日だったのである。 日本で、最初の狂牛病が千葉県で発見された。この事件は、瞬く間に食の安全性をめぐる大問題に発展した。その年の10月には、食肉に供される全頭の牛に対して検査が行われることになり、また感染源とされた肉骨粉の牛飼料への添加も全面的に禁止された。しかし、一体どのくらいの肉骨粉がいつ輸入され、どのように使用されたかも解明できないまま、現在に至るまで断続的に狂牛病の発生が続いている。これまでに一四例の発症が確認された(2ページ表1参照。2004年10月現在)が、いずれの牛も肉骨粉が餌として与えられたかどうかは不明だ。狂牛病の謎は深まりこそすれ、薄れることはない。たとえば、肉骨粉禁止が徹底されたはずの2001年秋以降に生まれた、ごく若い牛が二頭も陽性と判定された。これらの牛の感染源と感染ルートは一体何であろうか。 2004年になると事態は新しい展開を見せることになる。前年のクリスマス、アメリカに不穏なプレゼントが届いたのだ。それまで一貫して清浄国であることを声高に主張していたアメリカにも狂牛病が飛び火していたのだった。日本はただちにアメリカ産牛肉の輸入を禁止した。巷では、輸入肉に頼っていた安い牛井メニューが姿を消すことになり、それを惜しむ人々が行列をなした。メディアはそのことばかり報道したが、もちろん問題の本質はそのようなレベルにはない。輸出を再開したいアメリカからの圧力をうけて、日本は自ら誇っていたはずの全頭検査体制を後退させてまで、輸入再開の条件を整えようとしている。ポリティクスの露払い役を演じたこのような“科学的議論”こそ非科学的であることが露呈するのは、それほど未来のことではないはずだ。 環境からの揺り戻し 狂牛病はどこから来て、どこへ行こうとしているのか。 狂牛病はもともとスクレイピーと呼ばれる、羊の風土病だった。それが牛に広がり、さらにはヒトへと種の壁を越えて乗り移ってきた背景には、草食動物のはずの牛を促成肥育するために、羊や牛の死体から作った高タンパク飼料を強制的に与えていたことがある。 新しい病の伝播には必ずや新しい生態学的界面の出現が伴う。人里遠く隔離された場所に限局されていた病原体とヒトとが出会うためには、幾重にも連なる人為的操作が存在するのだ。狂牛病はある日突然、無から立ち上がったのではなく、人間が作った経路を通じて着実に侵攻してきたのだ。 勃興にはもう一つの人為が働いている。病原体は新しい宿主に乗り移るときには、より適応的な進化が必要となる。進化すなわち変異と選択には時間がかかる。しかし、もし宿主となるべき生物が多数高密度で用意され、促成的に肥育され、しかも広範囲に流通されるとすれば? 病原体にとってこれほど好ましい境遇はない。経済的な加速は病原体の進化をも加速しているのだ。狂牛病禍勃発の背景にも人為的加速があった。リサイクルの名の下に、病死体の飼料化が繰り返し行われ、その方法がより簡略化された上で、世界規模で流通したことが病原体の選択と拡大に手を貸した。 物理学は私たちに可能なことを教えてくれたが、実は何が不可能かも教えてくれている。加速には余分な仕事量が必要で、環境のどこかでそれ以上のエネルギーが失われている。一方、加速したことによって出現した効率は負のエントロピーであり、環境のどこかでそのつけを払わなければならない、という単純な原則である(エネルギーとエントロピーの法則)。 つまり、動物と人間はともに環境の構成要素である以上、それらは動的な平衡関係にあり、その関係の一部分を人為的に組み換えたり加速したりすれば確実に環境から揺り戻しを受ける。 私たちが現在、悩まされている病禍はまさに環境からの報復作用に他ならない。 なぜなら、生命と環境は分子の流れによって通底しているからである。 生命は「流れ」の中にある このような循環的な自然観には、実は遠い源流があり、近い大発見がある。 チベット医学の生命観を記した17世紀の膨大な書物『四部医典(ギュー・シ)』の見解によれば、身体という小宇宙と環境という大宇宙は絶えずともに手をたずさえて踊っているとされる。互いのステップが乱れたり、この両者を突き動かす原動力のリズムがずれると、そこに疾患が生ずるという。私たちの生命が、世界の大きな流れから不可分の、ほんの一部でしかないという生命観は私たち日本人によっても共有されている。 これは一見、生命をミクロな時計仕掛けの機械ととらえるデカルト以降の西洋的生命観とはなじまない見方のように思える。しかし、私たち生物と環境との問にはパ・ド・ドゥ(バレエの対舞)のごとく分子のダンスが絶え間なく交わされていることを明らかにし、それを分子レベルという高い解像度を保ったまま、初めて記述することに成功したのは、実は、ルドルフ・シェーンハイマーというアメリカの科学者だった。 自然観における、この、ある意味コペルニクス的転換が、シェーンハイマーによって最初になされてから、まだ六十数年が経過したに過ぎない。 彼は、ナチズムの靴音から逃れて1930年代にアメリカに渡ってきたユダヤ人科学者だった。そのとき彼は安定同位体を使って代謝研究を行うという画期的なアイデアを得た。 安定同位体を使うと食物が体内でどのように代謝されるかを自在に追跡することができる。彼は、当初、食物を構成する分子のほとんどは、生物体内で燃やされて排泄されるだろうと思っていた。 ところが実験結果は違った。 分子は高速度で身体の構成分子の中に入り込み、それと同時に身体の分子は高速度で分解されて外へ出ていくことが判明したのだ。つまり、生命は、全く比喩ではなく、「流れ」の中にある。個体は感覚としては外界と隔てられた実体として存在するように思えるが、ミクロのレベルではたまたまそこに密度が高まっている分子の、ゆるい「淀み」でしかない。その流れ自体が「生きている」ということである。 生体を構成している分子はすべて高速に分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。時計仕掛けの部品そのものが更新され続けるのである。だから私たちの身体は分子的な実体としては数ヶ月前の自分とは全く別物になっている。環境は私たちの身体を常に通り抜けているのである。その流れの中で、私たちの身体は変わりつつ辛うじて一定の状態を保っている。これは脳細胞といえども例外ではない。その意味では私たちのアイデンティティや記憶の実在性とは、自分自身が信じているほど確実なものではない。 これを彼は“動的平衡”と呼んだ。 ところが、この偉大な啓示をもたらした彼の名はその後、歴史のおりに沈み、すっかり人々の記憶から忘れ去られてしまった。生物学の教科書にも、科学史の本にも彼の名が登場することはない。シェーンハイマーの人となりに触れることのできる記録は今日驚くほど少ない。彼は1941年、研究の最盛期に謎の死を遂げる。しかし、彼の提出した生命像、すなわち、生きるとは動的な平衡状態であるという視座は、私たちが今、躍起になって取り組んでいる環境と人間の問題にも重要な示唆をもたらしてくれる。 本書の試みは、狂牛病の発生のプロセスを解析することによって、狂牛病禍が私たちに問いかけたものは何かを考えることである。それはとりもなおさず、シェーンハイマtを再評価し、“流れ”の生命観を、環境問題をめぐって右往左往する私たちの、古くて新しい座標軸として位置づけ直すことでもある。 |
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