マックス・ウェーバーの言葉

小室直樹
世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ (目次) 
徳間書店
青山秀夫著
 『マックス・ウェーバー(基督教ヒューマニズムと現代) (レジュメ)
岩波新書
佐々木毅編 『現代政治学の名著』
マックス ウェーバー職業としての政治(レジュメ)
中公新書
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マックス・ウェーバー
1864〜1920
(大正9年)
マックス・ウェーバーの言葉
       予定調和説について
小室直樹  『世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ』  徳間書店より

イスラム教のばあいは・・・・・・・予定が神の二重の決断にもとづくとする予定説ではなくて、宿命論的な予定説であり、したがって地上の生活の運命には関係があっても、来世での救いにはなんら関係することがない
大塚久雄約マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
1989年 176頁

救済されるかされないかは何によって決まるのか。

神の意志である。
神は天地創造より前に、誰を救済し、誰を救済しないかを決めたもうた。神の意志決定は、全く自由であって、何ものにも拘束されない。いわんや、人間界の倫理・規範なんか,どうでもいいのである。
ここのところが、何人にとっても、どうにも腑に落ちようがないのである。

ミルトンがこの説教を批判して、「たとい地獄に堕されようと、私はこのような神をどうしても尊敬することはできない」と言ったのは有名だ。
(大塚久雄約マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
岩波文庫1989年151頁)

ルターは・・・・
彼は宗教的天才が最高潮にあるときに限って予定説を信じた

ルターも彼の宗教的天才が最高潮にあり、あの『キリスト者の自由』を書くことができた当時には、神の「測るべからざる決断」こそ自分が恩恵の状態に到達し得た絶対唯一の測りがたい根源だ、とはっきり意識していた。
大塚久雄約マックス・ヴェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
1989年 151頁

「職業」の概念 (二重予定説の帰結)
プロティスタンティズムの世俗的禁欲は、・・・・・・・・
心理的効果として財の獲得を伝統主義的倫理の障害から解き放った。

利潤の追求を合法化
したばかりでなく、それを(上述したような意味で)まさしく神の意志に添うものと考えて、そうした伝統主義の桎梏を破砕してしまったのだ。
大塚久雄訳 マックス・ヴェーバー 『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 岩波文庫
1989年 342頁


青山秀夫著マックス・ウェーバー (基督教的ヒューマニズムと現代) 岩波新書 より
清教徒の最大の関心事 → 「私は救われるか」 (救拯のエゴイズム)
マックス ウェーバー   :  
     国民主義的熱情 (一般のドイツ国民の共同の運命を甘受)
                  大衆の一人として生きたい (民族共同体)


天上の神と地上の神(p95)
  山上の垂訓は一切の戦争を否定
  同胞の戦死を冷然と見送る (一部のクエーカー教徒
そこまではなれない。それどころか・・・・ (中略)

しかし、いまや戦争においては諸君は誰も、何ゆえに、また何のために死ぬるか知っている。
山野に屍をさらすものは、やがて芽生ゆべき将来 の種子である。
われわれの民族の自由と名誉のために、英雄死は子々孫々のために最高の業績である。
かような死ほど大きな栄誉、価値ある終焉はない・・
1914年 悲観的戦局を前に青年に講演

職業としての学問(講演)
自分の仕事につき、人間的にも職業的にも 『日々の要求』 に対してその本分を励め
しかし各人はその生をとらえみちびく熱情の対象を持つはずである
その熱情の対象を見出だし、その命令にしたがうかぎり、この仕事は素直かつ容易にはたされるはずである 

アカデミック・アロガンジー
何が嫌だといっても、精神的職業・学者的職業に伴う、あの思い上がりほどきらいなものはありません
知識欲の満足が、それだけで人生の本当の内容であり、それこそが 「人間を人間たらしめるものだ」というように考え、さらに、彼がなさねばならぬ経済的仕事を、生存のためのやむをえない負担、と考える人があったとすれば、だれの場合でもそれは幸福ではないと思います

書物や知識はわれわれに真の生き方を教えてはじめて意義を持つ

われわれはその生き甲斐をかけた理想を持たねばならぬ
鬼人のごとくわれわれをとらえ、われわれを魅了しつくすごとき理想を持たねばならぬ

世渡りだけが人生ではない
世俗的な世渡りに自己を埋没せよというのではない
デーモンを持ち、生をこのデーモンに奉仕させる

最後の言葉
熱情なくして価値ある仕事は何一つできない

  世間の耳目をそばだてるかは どうでもいい
  自分に出来なかったことは 誰か他人が成就するだろう 
  自分一個の運命に対しては 不平一ついわず、
  だんこ平静を持したまま 日々の仕事に没入していく

一日の苦労は一日にて足れり
日々の仕事を熱情がつらぬき  したがって日々の営みが正義しく勤勉にはたされるならば そこに完全な満足と 充分な安心とが見出だされるはずである

締観的意味でなく、むしろ積極的能動的態度をもって
また貴族的心情的意味でなく、市民的理知的態度をもって
日々是好日 」と観じつつ  その日その日の営みに生き甲斐を見出だすこと

空疎かつ感傷的な英雄主義ではない
熱情的な生は英雄的であるにしても  その英雄は、天賦にかわりなく
世俗に生きながら誰でもなれる英雄である

職業としての政治
なぜ、立憲政治は、機軸としてキリスト教的神を必要とするか

リンク
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小室直樹  『 世紀末・戦争の構造 国際法知らずの日本人へ  徳間書店
目  次

第一章 近代の基礎を作ったキリスト教
はじめにヨーロッパありき
マリア信仰と三位一体説
神としての人間イエスがヨーロッパを一体化
修道制度とキリスト教の変質
福音書の最終的解釈はコーランに!?
キリスト教の中に「異端」の芽ばえ
中世カトリック教会の異端性
アウグスティヌス理論がカトリック教会を絶対化する
聖職者の存在

第二章 なぜイスラム教は近代を作らなかったか (参考リンク・松戸オリエント協会HP
イスラム教の本質
イスラム六信の核心
「神の国」と「来世」
中国人の来世についての考え方
キリスト教の予定説
ルター説の要諦
イスラム教の予定説
宗教改革の本質とは

第三章 絶対主義が国際法を確立
封建主義の勃興
キリスト教的ゲルマン社会
絶対的主権の確立が国際法の基盤
資本主義発達の道具としての国際法

第四章 湾岸戦争で戦争の概念が変った
戦争の概念を変えた大事件である
列強政治の台頭
国際政局を変化させた米国と日本の列強闖入
外交システムも変わった
外交官の矜持とは
クウェート侵攻で国際法は死んだ
国際連盟の理想主義が世界を混乱に落とし入れた
列強の妥協と打算の犠牲
国際連合は何故、連盟より“後退”したか
米ソ二大列強時代に突入した理由
フセインを悪とすると「真相」は見えない!
“聖戦”で戦死すれば永遠の生命を得られる
いまも残る十字軍コンプレックス
沖天の勢いにある聖戦の意識

第五章 なぜ日本人は国際法を理解できないのか
ペルー大使公邸占拠事件で露呈された日本の国際法無知
人命尊重の御題目はいまや国際法に反する行為だ

第六章 アメリカン・デモクラシーの正統性と差別観
アメリカの奴隷制度と途上国の主権
湾岸戦争の原因は差別問題だ
戦争目的は差別と専制政治

マックス・ウェーバーの言葉


*
『 職業としての政治 』 マックス ウェーバー

佐々木毅編 『現代政治学の名著』(中公新書)より抜粋

議会の無力」 の結果生じてきたものが、政治的責任なき官僚的支配である。

政治指導者の責任の在り方は、行政官僚のそれとは原理的に異なっている」

官僚の責任
「自分の上級官庁が(自分の意見具申にもかかわらず)自分には間違っていると思われる命令に固執する場合、それを命令者の責任において誠実にかつ正確に(あたかもそれが彼自身の信念に合致しているかのように)執行できること」                     ・・・義務であり、また名誉でもある。

政治指導者の責任
「己の信念のみにしたがって行動し、その行為の責任をひとりで負わなければならない」

そうした意味において政治的に無責任な官僚、ないしは 『官僚精神を有する政治家の支配、これが、これまた政治的資質のひとかけらも持ち合わせていない君主=ウィルヘルム二世の 『個人統治』 を許し、大戦に至るまでドイツの対外政策上の数々の失策を招いてきた原因である。

「ドイツに必要なのは、君主と官僚を統制し、政治指導に責任を持つ強力な政治指導者の存在である
まさに国家の政治指導に積極的に関与する強力な議会こそ、行政を統制し、またそうした議会活動の中で責任ある政治指導者を鍛え上げる 『指導者選抜の場』 である」                     ・・・議会主義化論

支配の正統化の根拠を 「伝統的支配」 「カリスマ的支配」 「合法的支配」 の三つに類型化。

「指導者民主主義」 つまり民主制におけるカリスマ的要素とは何か
カリスマ的支配とは、ある人物とその人の特殊な資質(カリスマ)に対する信仰に基づく支配である」                       ・・・ウェーバー

伝統的支配や合法的支配のように伝統的規範や合法約に制定された規則によってではなく、全く 「新たな命令」 や提示によって被支配者をその内面から変革するという意味において、カリスマは歴史上しばしば 「創造的・革命的な力」 としての役割をはたしていた。

だが、カリスマ的支配者の支配の妥当が、まさに彼の特殊な資質に対する被支配者の 「承認」 に基づいているということは、裏をかえせば、そうした信頼 = 承認が消失すればただちに彼の支配は崩壊するということを意味する

カリスマ的支配者は、たえず彼のカリスマたることを被支配者に対して 「証し」 をたてねばならないのである。
その意味で、真正なカリスマ的支配は本質的に不安定な存在であった
(中略)
カリスマ的要素は民主性においても存在している。

合法的な規則によって選挙された政治指導者も、正に 「私個人的資質 = 能力」 ヘの大衆の信頼ゆえに選ばれる。
この場合大衆は、正に彼の 「指導者しての使命」、つまり「彼の信念とそこから導きだされる使命 = 課題、そしてこれに対する彼の 人柄 = 資質 を支持するがゆえに、彼を指導者たる地位 = 権力 につかせる

それゆえ、もし彼が己の自信の信念に基づく行動において、彼の使命 = 資質を大衆の前に 「証明」 することができず、大衆の支持を得られなくなった場合、あるいはまた、その結果として、大衆の要求する課題が彼の信念と齟齬するようになった場合には、彼は指導者たるその地位を降りねばならない。

「大衆国家の政治指導に必要なこうした政治的責任の在り方に、先のカリスマ的正統性の構造は照応する」

ウェーバーが『職業としての政治』において、
「『天職』(ベルーフ)という考え方がもっとも鮮明な形で根を下ろしているのがカリスマ的支配である」と述べているのはまさにそういう意味においてであった。
(中略)
つまり、証しをたてることができぬカリスマを指導的地位から下ろして、新たな指導者を定立するためのもっとも確実な機構こそ、「指導者選抜の場としての議会」。
(中略)
政治指導者にまず必要なものは、自らの信念に基づく使命 (ザッヘ) への献身という意味における 「情熱」 である
(中略)
愚かで卑俗なのは世間であって私ではない。こうなった責任は私ではなく他人にある」・・・ 心情倫理家がこのように述べて自己の行動を正当化しようとするとき、結局のところ、彼はこの世界に耐えられなかった、言い換えれば政治家としての 「証し」 を得られなかったにすぎない。

政治の持つ倫理的バラドックスの只中にあって、このバラドックスの帰結を見通す 「判断力」 と、そして 「情熱」 とを二つながら併せ持つという課題、およそ不可能とも思われるこの難事にあえて挑む。

そして、
「自分が世間に対して捧げようとするものに比べて、現実の世の中が、自分の立場から見て、どんなに愚かであり卑俗であっても、断じて挫けない人間。 どんな事態に直面しても 『それにもかかわらず!』 と言い切る自信のある人間、そうした人間のみが政治への 『天職』 を持つ・・・、
つまり 「政治的世界において真にカリスマたる証しを持つ」・・・
・・・ウェーバーはこのように言うのである。