| 藪にらみ 新約聖書/旧約聖書 2002年10月号 |
| (聖書の呼ぶ声 ときわぎ編集版) |
| 新約略解35週 ご自分の受難死の理由を明らかにしましたが、先頭に立って敵地エルサレムに進むイエスの姿に驚き恐れます。弟子たちは、イエスが何故死ぬために乗り込むのか依然として謎のままでした。 権力と権威の中枢、エルサレム神殿で、イエスは預言者としての姿を顕わにします。祈りと癒しの人イエスは、戦う人として権力と権威に対決します。過越し祭に集まった多くの群衆は、イエスはメシヤではないかと、大いに期待を高めます。 [新]5、マルコ福音書X(敵地エルサレムで)・・・・・・・対決するイエス ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 旧約略解77週 旧約聖書には厳しい性的倫理があるもかかわらず、、とことどころに、性的スキャンダル――近親相姦や露骨な性的表現があって、読者を困惑させます。 ここの、ソドム物語も、男色や父娘相姦が淡々と記されていますが、どういうことなのでしょうか、その意味を考えてみます。 [更新] 8、創世記8(ソドム滅亡物語)・・・・・・性的スキャンダルの意味 |
以下編集 挿絵挿入 ときわぎ |
| 8、創世記8 (ソドムの滅亡物語) ――― 性的スキャンダルの意味 |
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父も年老いてきました。この辺りには、世のしきたりに従って、わたしたちのところへ来てくれる男の人はいません。 さあ、父にぶどう酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう。(19:32) ――――――――――――――――――――――――――――――――
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ヘブロンのマムレの樫の木の傍らに住んでいたアブラハムは、主の顕現により、契約と割礼を受けましたが (17章)、その後再び3人の客 (主と御使い) の訪問を受けます (18章)。 手厚くもてなすアブラハムに、主は不妊の妻サラが身ごもり、イサクが誕生することを予告します (18・1〜15)。 そしてみ使いはまた、甥ロトの住んでいるソドムの町の堕落を糺しに来たことを告げます (18・16〜)。 「ソドムとゴモラの罪は非常に重い、と訴える叫びが実に大きい。わたしは下って行き、彼らの行跡が、果たして、わたしに届いた叫びのとおりかどうか見て確かめよう。」 創世記18・21。 ソドムの町を、絶滅しょうとする神の意向に対して、ソドムに住んでいる甥のロトを心配するアブラハムは、少しでも生き残りの者が助かるように、「ソドムのための取り成し」 の交渉を、神とします (18・22〜32)。 巧妙なアブラハムの作戦が成功して、神はソドムの全滅を思い止まり、正しい人、10人は助けることを約束します。 アブラハムの熱意により、甥のロトは救われる保証を得たのです。 |
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| ソドムの滅亡物語(19章)――男色の街ソドム | |||||
ソドムを滅ぼしに来た二人の御使いは、ロトの住む、アブラハムの甥ロトの家に泊まります。 すると、ソドムの町の男たちが押し掛けて来て、「今夜、お前のところに来た連中 (神の使い二人) はどこにいる。ここへ連れて来い。なぶりものにしてやるから。」 19・5 、と連行を強要します( ※1)。 ロトは、お客の身代わりに、自分の娘を提供することを申しでますが、神の御使いの威力で、危機を逃れることが出来ます。 そして、翌朝、二人の御使いの先導で、ロトと妻、娘をソドムの町から退避させます (19・8〜22)。
「主はソドムとゴモラの上に天から、主のもとから硫黄の火を降らせ、これらの町と低地一帯を、町の全住民、地の草木もととも滅ぼした。ロトの妻は後ろを振り向いたので、塩の柱になった。」 19・24。 そして、19・29 「神はアブラハムを御心に留め、( 甥の) ロトを破滅のただ中から救い出された。」 アブラハムの信仰により、アブラハムの甥のロト (外国人のモアブ人とアンモン人の祖先となる) を救ったというのがソドムの滅亡物語です。 ここで、良く判らないのが、ロトの家に押し掛けて来た無頼の者たちが何をしょうとしていたのか、何故ロトは自分の娘を代わりに差し出そうとしたのか、ということです。 |
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| 「知る」ことの意味 | |||||
実は、19・5 の 「なぶりものにしてやるから」 という訳にあります。 この訳では判らないのです。 古い口語訳 (新改訳1982版) ではこうです。 「今夜お前のところに来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」 と、あります。 この 「知る」 という言葉が、問題の訳なのです。 聖書ではこの 「知る」 ※2という言葉は、余り露骨なので憚れますが、性交を間接的に表現しているのです。 男を 「知らない」 ということは処女を意味しています。 列王上1・4 で、老境のダビテ王の世話をするために、若い処女をはべらせたが、「この上なく美しいこの娘は王の世話をし、王に仕えたが、王は彼女を知る ("intercourse with her" TEV.) ことがなかった。」 とあります。 即ち、処女のままであったということです。 ですから、この事件は、押し寄せて来た男たちが、若い二人の旅人を 「知りたい」。 即ち、み使いである旅人に男色を強要したということなのです。 英訳では明瞭に、 The men of Sodom wanted to have sex with them. (現代英語訳聖書TEV.) Bring them out to us that we may now them carnally.( 新欽定英訳 NKJB.) としています。 それだけソドムの町は、男色※1 の盛んな背徳の町であったということです。 だからこそ性の頽廃について、神の厳しい裁きが下つたのです。 正常な夫婦関係の性交渉以外は全て、悪であるというヤーウェの神の厳しい掟です。 レビ18・22、「女と寝るように男と寝てはならない。」、29節 「これらのいとうべきことの一つでも行う者は、行う者が誰であっても、民の中から断たれる。」 とあります。 当時のイスラエル近辺の国々は何れも、肥沃な土地に栄える農耕民で、作物の豊穰を願い、多産の神々を崇め、神殿娼婦や男娼制度※3もある、性的にルーズな文化を持っていました。 その影響を受けて、バールの神とヤーウェの神との混交祭儀が行われてをり、この堕落した祭儀の度々の宗教改革が、旧約時代前期の歴史です。 本来の砂漠の民は、禁酒・禁欲的な生活を維持し、それがヤーウェの神の宗教倫理でもあったのです。 この性的倫理の厳しさが、古代イスラエル教の特徴で、それが今日も伝統 (特に、ユダヤ教とイスラム教に) として受け継がれています。 しかし、旧約聖書では性を決して隠蔽すること無く、かなり露骨に表現されており、私たちは戸惑います。 |
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| 近親相姦について――創世記19章30〜36と38章15〜26。 | |||||
このように、ソドムの町と共に滅亡するところだったロトは、妻は失いましたが、危うく助かります。 そして街に住むのを恐れて二人の娘と山の中、洞窟の中に住みます (19・30)。
年頃の娘は、男が誰も訪れないので、二人で共謀して 「さあ、父に葡萄酒を飲ませ、床を共にし、父から子種を受けましょう。」 といって、姉妹の二人は、交互に父親と寝た。 そして、それぞれ男の子を得たとあります ( 創世記19章30〜36) 。 いわば、近親相姦を、全く罪悪感なしに淡々と記しています。 そして、「父親は、娘が寝に来たのも立ち去ったのも気がつかなかった。」 と、姦淫の意識がなかったので免責されているのでしょうか。 娘の方も、子孫を残すという目的から、この行為は正当化されているようです。 姉の子はモアブ人の先祖、妹の子はアンモン人の先祖とされています、37節。 子孫を残すというのが、人倫の道以上に大切であったのでしょうか。 この19章30 「ロトの娘たち」 と同様、「ヨセフ物語」 38章の 「舅と嫁の不倫」 も、何か納得行かない 「近親相姦」 の内容です。 創世記の後の方、37章からは 「ヨセフ物語」 が始まるのですが、唐突に、舅のユダと、嫁のタマルとの性交渉が挿入されています。 厳しいヤーウエの神の性的倫理からみてどういうことなのでしょうか。 やや脱線しますが、この 「ヨセフ物語」 の方を見てみます。 |
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舅ユダと嫁タマルのスキャンダル(38章15〜26) |
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ユダの長男エルは死んだので、その嫁タマルは、若くして後家となった。 しかし、当時の兄弟の義務から、次男のオナンは、兄嫁の寝床に入り、兄のために子孫を残さねばならなかった、38・8。 オナンは、兄の財産は、その子孫のものとなり、自分のものとならないのを知っていたので「兄に子孫を与えないように、兄嫁のところに入る度に子種を地面にながした。」 (自慰をオナニーというのは、ここからきているといわれる) 。 彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺されてしまい、残るは3男だけとなってしまった。 3男は、未だ子供だったので、タマルは実家に帰って、成人してから結婚できるのを待っていたが、舅のユダはそのうち、タマルとの約束を忘れてしまった。 そこで、タマルは神殿娼婦に身を偽り、舅のユダに近づき、身籠もることに成功した。そして、結局タマルは双子を生みます。その子ペレツがユダ族の先祖となり、その分かれがエッサイ家となりメシヤ・ダビテを出したのです。 ここでは、寡婦タマルの誘惑は、非難されていません。 むしろタマルの子孫を残す執念が褒められているようです。 また、父親ユダが娼婦と寝たことも、問題視されていないようですが、どうなのでしょう。 何故、このような物語が記されているのでしょうか。 性的10戒 (レビ18章6〜23) といわれる記事では、厳しくしかも詳細に近親者の性的タブーと隣人の妻との交渉、不倫の禁止が規定されています。 18・29節 「これらのいとうべきことの一つでも行う者は、行う者が誰であっても、民の中から断たれる。」 と厳しく宣告されています。 これらの記事から見て、ロトやユダの事件は決して良いことではない、といえます。 にも係わらず、何故このような記述があるのでしょうか。 性的倫理に厳しいヤーウェの神に考えられないことです。 |
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| 性的スキャンダルの意味 | |||||
聖書の特徴として、既に 「裸のノアと、その息子たち」 20号で述べたように、性的不始末の出てくるのは、必ず相手を貶める時のようです。 このロトの事件は、その外国人子孫アンモン人とモアブ人の差別 (※4、申23・4 ) の理由なのです。 アンモン人やモアブ人は性的に放縦であるとして、差別されていましたが、この理由、いわれを言いたいために、この旧悪をここに書いてあるのです。 ユダと嫁タマルの話しも、性的スキャンダルなのです。 栄光のダビテ王朝の先祖であるユダには、このような不祥事がかってあったという重要なメッセージなのです。 何故、このようなダビテ王朝の先祖の名誉を傷つける挿話が、ヨセフ物語の冒頭にあるのか、これは、ヨセフ物語の秘密であり後ほど (旧約略解 「11章ヨセフ物語」 ) 述べたいと思います。 |
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| 露骨な表現で預言者は弾劾 | |||||
聖書には何か、悪いことが起こる事件の伏線、前触れとして、必ずといって良いほど、性的スキャンダル( ※5) が出て来ます。 そして、全ての場合、何らかの罰を受けることになっています。 神は決して、これらの不倫を黙って見ているのではない、というのが旧約の厳しい性的倫理なのです。 ホセアやエレミヤなど預言者の言う、性的表現もそうです。 姦淫した、というのは、裏切ったことの、最大の軽蔑の言葉なのです。 イスラエルの民が、ヤーウェの神との契約を破って、異教の神と親しくなった―いわば不倫を 「姦淫(姦通)」 という露骨な軽蔑的表現で言っているのです。 エレミヤ5・8 「彼らは、情欲に燃える太った馬のように、隣人を慕っていななく。」 と。 聖書には、このような露骨な 「淫行、姦淫」 を、神への背反の象徴の言葉として激しく語られるところがあり、我々を当惑させますが、現代でも、政敵を貶す最も下劣で効果的表現は、下半身に関するスキャンダルです。 これと似たような意味があるのが、聖書に出でくる、性的スキャンダルの特徴だと思います。 この、性的事件の表現の露骨さは、とても現在の感覚からついて行けない所があります。 しかし、当時の特に遊牧民にとって、家畜の繁殖という最も大事な仕事に、種の選択と繁殖・交尾など、優生学的知識は否応なしに必要とした訳で、オープンな性意識を持ち、また近親結婚の弊害(劣性遺伝)も身近な問題として考えられたと思います。 農耕の民に比べて、より厳しく近親交配がタブー視され、近親相姦禁止となったのは当然です。 厳しい性的倫理10戒 (レビ18章6〜23) が生まれた背景と思われます。 |
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| 性的倫理の根拠―嗣業の土地相続にも関係 | |||||
以上より、イスラエル民族の性倫理を支えている根拠が判ります。 厳しい近親相姦の禁止のほか、もう一つは姦通禁止です。 正統な子孫とは、土地財産を受け継ぐのに、正当な権利のある子孫のことです。 土地財産は 「嗣業」 として、神が祝福し、契約された聖なるものであるという意味があります。 「嗣業」 という言葉がしばしば、聖書に出てくるのは、その意味です。 「姦通」 が悪であるのは、その結果生まれる子供が、両家の嗣業を継ぐ順序を混乱させ、共同体の秩序を乱す現実的なことから、悪と規定されているのです。 モーセの十戒は、共同体の維持を目的としています。 第七戒「姦淫してはならない」とありますが、「姦淫」 とは好色ではなく、「姦通」 の意味なのです。 姦通とは、夫ある婦人を奪うことで、私通のことで、今風には不倫のことです。 この不倫の子供は、両家の嗣業相続の順序を乱し、ひいては共同体にトラブルをもたらすから悪なのです。 聖書では、正しい性関係は決して否定していません。 創世記冒頭の全て 「極めて良かった」 (創1・31) と祝福されているように、「性」 も神から与えられ、祝福されているのです。 「二人は一体となる」 (創2・24) という、性関係をもつことが、男女の正しい有り方なのです。 但し、不倫はいけません。 イエスは、律法学者が、姦淫を道徳的に悪と解釈しているのを皮肉っています (イエス語録19章、マタイ福音書の謎)。 イエスは姦淫よりむしろ、離婚のほうこそ、重要視しています、マタイ5・32。 神が合わせたものを、分離することを、悪としています。 |
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------------------------------------------------------------ 1 ※1、類似の男色事件 |
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| 実は、これと全く似た物語が、士師記にあります。 士師の時代、後期になると、堕落し始めて、イスラエル部族の団結が緩み、ベニヤミン族が背きます。 その理由が、ベニヤミン族のならず者がユダ族の男に男色を強要した事件があります。 士師19・22 「お前の家に来た男を出せ。我々はその男を知りたい。」 と。 恐らく、これが元の伝承でしょう。 この伝承を、ソドムの滅亡と結びつけたものと思われます。 男色は、日本の中世武家社会でも、衆道と呼ばれ、織田信長と森蘭丸の関係が有名です。 |
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| ※2、「知る」とは? | |||||
「知る」 という表現では判りにくいので、今は 「関係する」 と訳しています。 イエスの誕生の、マタイ1・25では、新共同訳では 「男の子が生まれるまでマリヤと関係することは無かった。」 としていますが、古い口語訳では 「知ることはなかった」 とあります。 英訳聖書(TEV)では、”no sexual relation” とあり、より明快です。 |
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| ※3、神殿娼婦 | |||||
創38・21 「神殿娼婦」、列王下23・7 「神殿男娼」 の存在が記されています。 |
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| ※4、申命記23・4、モアブ人について | |||||
申命記23・4 「アンモン人とモアブ人は主の会衆に加わるこはできない。十代目になっても、決して主の会衆に加わることはできない。」 |
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| ※5、聖書の性的スキャンダル | |||||
ヤコブの長男ルベンが、長子権のを失ったのは、ヤコブの長男ルベンが、父ヤコブの側女の寝台に上ったためとしています、創世49・4。 ウリヤの妻バテシバを奪ったダビテの不倫事件の結果、ダビデにはその報いとして、そのダビテの息子、アブサロムが反乱して父ダビデのハーレムに入って、父の側女を汚した (サムエル下12・11、12とサムエル下16・22)。 そしてその結果として、アブサロムは、王朝の継承権を失ったという因果関係。 ダビテ王の側女アビシャグを望んだダビテの息子アドニヤは、それを理由にソロモンに誅される、列王上2・23、24。 などなど、性的スキャンダル事件が歴史書には所々、出てきます。 イエスの誕生、私生児として生まれたということは、大変なスキャンダルです。 イエスはイエスを信じないユダヤ人から 「わたし達は(イエスのように) 姦淫によって生まれたのではありません」 ヨハネ8・41、とさえ言われています。 私生児は、民の集会に参加資格がありません。 市民として認められていないのです。 マタイ福音書では、マリヤの性的スキャンダル――処女懐妊――を聖霊の賜物としています。 マタイは周到に、ダビデ家系図に、いわく付きの女性たちを挿入して、マリヤのスキャンダルをカバーしいています (イエス語録 「第47章イエスキリストの系図のミスリー」 参照)。 |
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