| 新約聖書/旧約聖書 薮にらみ 2002年11月号 |
| ●新約聖書とは ●旧約聖書とは |
| (聖書の呼ぶ声 ときわぎ編集版) |
| 2002年10月号 |
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| 旧約略解77週 | |||
旧約聖書の中には、ルツ記・ヨナ記・トビト記など、物語性のある肩のこらない読み物が残されています。このヨセフ物語も、一つの小説的面白さを持っています。 しかし、この物語に隠されている、書かれた当時の政治的背景を考える時、この物語は、「兄弟愛と神の恵み」のテーマを超えて、旧約の南北問題(主流の南ユダ王国に対する兄弟国北イスラエル)が見えて来て、政治小説としての面白さがうかがえます。 これは、上記ルツ記やヨナ記など知恵文学にも見られるもので、当時の権力や社会に対する批判や皮肉を意味し、単なる教訓物語ではないようです。 |
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[更新] 11、創世記11(ヨセフ物語)―――――――政治・心理小説の傑作 ----------------------------------------------------------------------- |
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| 11、創世記11(ヨセフ物語)――――政治・心理小説の大傑作 |
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レンブラント 「ヨセフを告発するポテパルの妻」 1655 Gemaldegalerie,berlin-Dahlem |
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あなたがわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。(創世50・20) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 旧約聖書の中には、ルツ記・ヨナ記・トビト記など、物語性のある肩のこらない読み物が残されています。 このヨセフ物語も、一つの小説的面白さを持っています。 そして他の聖書物語に比べて、一つの大きな特長は、神が語りかけるとか、御使いが現れるとか、主人公が神に祈るなどという宗教的雰囲気や教訓が余りないということです。 しかし、この物語に隠されている、書かれた当時の政治的背景(※1)を考える時、この物語は、「兄弟愛と神の恵み」 のテーマを超えて、旧約の南北問題 (主流の南ユダ王国に対する兄弟国北イスラエル) が見えて来て、政治小説としての面白さがうかがえます。 ヨセフ奴隷としてエジプトに売られる 異母兄弟たち12人の中で、愛妻ラケルの年寄り子として生まれたヨセフは、老父ヤコブに溺愛され、彼だけ裾の長い晴れ着を作って貰う位に甘やかされます。 増長したヨセフは、「兄たちのことを父に告げ口した」り(37・2b )、父母や兄たちがヨセフに 「地面にひれ伏す」 37・10b ような、夢を見たというものですから、兄弟から憎まれて、荒れ野で殺されそうになります。 通りかかった隊商に売られてエジプトに連れて行かれ、ファラオの役人で、侍従長のポティファルに買い取られます(37章)。 (38章に突如として、ユダとタマルの舅嫁の不倫物語が挿入されています。その政治的意味は後述) しかし 「ヨセフは顔も美しく、体つきも優れていた」 39・6 なので可愛がられて、ポティファルの妻からベッドに誘惑される (※2) はめになりますが、断ります (この辺が、ソロモンの妻妾批判といわれる、後述) 。 そのため、逆にポティファルの妻から恨まれて、牢につながれます。しかし 「主が共におられ」 (39・2 、21、23) たので、「主がうまく計らわれ」 (39・23b)、かえって、王を悩ました夢の難問-――豊作のあと飢饉がくるという――を解いて、王ファラオの信頼をうる機会に恵まれ、牢から出して貰えます(40、41章)。 ヨセフ、エジプトで出世する そしてついに、王ファラオの宰相にまで出世し、妻も与えられ、飢饉の対策で大いに手腕を発揮し、ますますファラオの信任を得ます (41・37〜57)。 ヨセフの政策として47章13節〜26節に、食べ物と引換えに、担保の土地を取上げ、小作人を奴隷にしたその辣腕ぶりが紹介されています。 (イスラエルの祖先ヨセフはこの様にエジプトの農業を指導し 「エジプトの農業の定め」 47・26を作ったのに、その子孫のソロモンは情けなくも、エジプトの政策を模倣したことを痛烈に皮肉っている個所といわれます。) この飢饉は、カナンの地にも及び、ヤコブの命により、兄弟10人は食料の買い付けに、エジプトにきます。身分を隠して、兄弟を引見した宰相ヨセフは、懐かしさの余り、何とかして愛する同腹の弟ベニヤミンに会いたくて、無理難題を言いつけます。ヨセフを売った異母兄弟10人にたいする復讐と懐かしさの、愛憎交々に苦しむヨセフの心理描写が見事です (42、43章)。 ヨセフ、兄弟たちと再会する ヨセフは、ついに弟ベニヤミンをエジプトに連れて来させて、会います。 そしてエジプトに引き止めて共に暮らすよう画策しますが、兄弟ユダ(最初は長男ルベンが交渉役であったが、何時の間にか、4男のユダが兄弟たちのリーダーとなる。 これは物語の書かれた頃の、ダビテとソロモンを出したユダ族の台頭を意味する?) の誠意ある嘆願、「なにとぞ、この子(ベニヤミン)の代わりに、この僕(ユダ)を御主君の奴隷として残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。」44・33、というユダの言葉により、 ヨセフは 「もはや平静を装っていることができなくなり」 45・1 、遂に自分がヨセフであることを告げ、過去を明かします。 そして 「わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか」 45・3 と、自分が兄弟たちに売られたヨセフであることを告白してしまいます。 「神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。神がわたしをファラオの顧問、宮廷全体の主、エジブト全国を治める者として下さったのです。」 45・7 と、神の計らいのうちにあることを強調して、父ヤコブもエジプトに来て一緒に住むよう願います。 「ヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンもヨセフの首を抱いてないた。ヨセフは兄弟たち皆に口づけし、彼らを抱いて泣いた。その後、兄弟たちはヨセフと語りあった。」45・14、15。とここに和解が成立して、やがて父ヤコブもエジプトに避難してきます(46章)。 大団円―和解と赦し そしてヤコブ一族が王ファラオに正式にエジプトのラムセス地方に居住を許され、所有地を与えられて( 47・11)、ここにハピーエンドを迎えます。 創世記の次の物語 「出エジプト」 への橋渡しが終わります。 物語は、実にリアルな心理描写に満ちています。 登場人物の性格も決して理想化せずに、事実を物語っています。 悪玉か善玉かと決めつけない所が如何にも旧約聖書的です。 父ヤコブが死んでしまうと、ヨセフの報復を恐れた兄弟たちは、「どうか兄たちの咎と罪を許してやって下さい」 を父の遺言だとして、始めは人を介してヨセフに言いますが、「これを聞いたヨセフは涙を流した。やがて、兄たち自身もやって来て、ヨセフの前に平伏し」ます。兄弟たちの暗心危疑と本当の和解「赦しの再確認」 を描いています(50・15〜19)。 そして、最後にヨセフの言葉として 「あなたがわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。」 50・20 を、この物語の教訓として締め括っています。 北イスラエル族(ヨセフ・エフライム系)と南ユダ族(ダビテ・ソロモン系)との確執 聖書学者によれば、この物語が書かれたのは、ソロモン王朝 (BC930) 以後といわれています。 この物語は小説であって、歴史的事実は全くないとされています (あるとすれば、エジプト王朝に、イスラエル人を優遇し寛容であったファラオがいた或る時代、先進国エジプトにイスラエル人が多数出稼に赴き、或いは奴隷として売られていたこと、ぐらいです) 。 ですからこの物語がかかれた裏の動機として、次の二点が重要です。 ソロモン王のエジプトかぶれの批判 その背景の一つには、ソロモン王の「エジプト文化かぶれ」を揶揄批判する意味が隠されていると、或る聖書学者(※1)は言っています。 例えば、前述した、人妻がヨセフを誘惑して肘鉄をくう所は、ソロモン王がエジプト女性を妻にしたり(王・上3 ・11) 、ハーレムを作ったり( 王・上11・1)、外国女にいかれたことを揶揄してをり、また、イスラエル人のヨセフがエジプトの政策に関与し、しかも指導した(47・26でエジプト農業を定めた)ということは、ソロモンのエジプトかぶれ ――12県制度(列王上4・7)や外国人傭兵制度の模倣を痛烈に批判しているというのです。 そしてまた、父ヤコブが死んだ時の葬儀に、フアラオの宮廷の元老の重臣たち、すべての長老たち、戦車も騎兵も盛大の行列をつくり、ヨルダン川の東側、イスラエルの地に赴き、荘厳な追悼式を行った(50 ・7 〜10)。これは、ソロモンが先生と仰いでいた、エジプトのVIPたちが、わざわさイスラエルまで出かけて、ヤコブ即ちイスラエルに頭を下げて来たことを意味しています。 ユダ族(南ユダ)に対するヨセフ系(エフライム族、北イスラエル)の牽制 もう一つ重要なことは、12部族の中で、当時ダビテの働きで台頭してきた新興ユダ族と、その対抗勢力として、名門ヨセフ族系すなわちエフライム族の優位性の強調と確認です。それが49章「ヤコブの祝福」です。ここでは、他の部族に比べて、明らかにユダ族とヨセフ族に多くの祝福を与えてその重要な将来を保証しています。 南パレスチナに地盤のあるユダ族出身のダビテは、軍事的に成功してダビテ・ソロモン王朝を築き、12部族のトップに立ちました。 それを、このヨセフ物語では、長男のルベン (父ヤコブの側女と寝たという不名誉な事件で失格。35・22) に代わり、兄弟の纏め役と責任をユダが果たし、部族のリーダーとして追認されています。 しかし、先祖ユダの買春物語 (タマルの貞女物語の外見をとっていますが、舅ユダが知らずして嫁タマルと近親相姦を犯した) 38章、を挿入することにより、ダビテの出自、ユダ族にケチをつけて、ダビテ・ソロモン王家の神格化を防止しています。 この物語の最大の隠れた主張は、ヨセフ族をユダ族のカウンター・バランスとして位置付けていることです。 全編を流れて強調しているのは、憎しみをこえて、兄弟と和解した部族の出世頭としてのヨセフ (北イスラエルの代名詞ヨセフ族) の誠実さを物語ることにより、ユダ族 ( ソロモン王朝) の批判勢力としての重みを主張しています。 南ユダ王国を、批判牽制した政治小説といえます。 ヨセフ (エフライム) は、旧約前期、滅亡した北イスラエルの代名詞として、エレミヤ31・9〜20、エゼキ37・19、アモス6 ・6 、詩編80・2など各所に表され、また全イスラエルの長子としての優位性を歴代上5 ・2 でも認めています。 特に、申命記33・13〜17では、「モーセの祝福」 として、12部族中、ユダ族以上に最大限の祝福をうけています(※3 、ヨセフ族系の重要性)。 また、芸の細かいことに、「ヨセフの子らの祝福」 48章をわざわさ設けて、エジプト女から生まれたヨセフの子たちをイスラエルの部族として認定し(48・5)、また次男のエフライムが、長男のマナセより優位に立つのは、ヤコブの遺志であるとして、ヨセフ族の後継者の正当化を計っています。 そのヨセフ族系の後裔として、エフライム族とマナセ族の重要地位を保証するために、48・22では、ヤコブの遺言として、シケムをエフライムの聖地として認証しています。 ヨセフ物語は、政治・心理小説の傑作 これらのソロモン王朝批判という作家の政治的主張が、このヨセフ物語の当時の重要な裏の意味なのです。聖書の編集者が、一見何気ない形で、自分の神学を主張したり、当時の社会や権力批判を行っているのが、新約※4、旧約を問わずに聖書の面白いところです。 現代の愛憎心理小説として通用するこのヨセフ物語に、このような政治的意味を付与するとは、編者の並々ならぬ手腕を感ぜずにはいられはせん。 「創世記」 と 「出エジプト記」 の架け橋が 「ヨセフ物語」 創世記は、このヨセフ物語で終わります。 このようにしてイスラエルの12部族は、カナンを出てエジプトに避難・移住しました。 イスラエルの民は、ヨセフが有力者として存命中は厚遇されますが、やがて国家奴隷の身分に落ち、過酷な労働に苦しみます。 そして、その 「奴隷の家」 エジプトからの脱出が、モーセに率いられた 「出エジプト」 となり、再び約束の地、乳と蜜の流れるカナンに戻ってきます。 --------------------------------------------------------------------- 1 ※1、「ヨセフ物語」 の書かれた背景 この創世記36章〜50章の 「ヨセフ物語」 は、原・ヤーウィスト文書がダビテ王朝時代(BC980)ごろ) に成立したしばらく後、ソロモン王の末期(BC930ごろ)に、その原ヤーウィスト文書に付加されたものと推定されています。 この時に付加された文書としては 「アブラハムとサラのエジプト滞在」 創世12・10〜20、「バベルの塔」 創世11・1〜9、「洪水物語」 創世6〜9、「カインとアベル」 創世4・1〜26、「アダムの堕落」 創世2・4b〜3・24などと推定され、王上11章 「ソロモンの背信とその結果」 と共に、ソロモン王批判が色濃く出ていると言われています (「平和の黙示」137頁、木田献一著、新地書房発行)。
ダビテの子ソロモンは、王位継承者争いに勝ち即位するが、「ソロモンの知恵」 王・上3・1〜28として評価されるように非常に有能で、しかもも行政的手腕に優れ、今までの部族連合 (各部族の地方自治的分権政治) を改め、エルサレム中心の、強力なエジプト官僚型中央集権政治に移行した (旧約薮にらみ、39章、列王記上T参照)。 すなわち、エジプトの行政制度を模倣して、12県制度の導入 (王・上4・1〜5・14)、神殿の建築 (王・上5・15〜6・38) や諸事業 (王・上9・10〜28) などを積極的に行い、神殿の礼拝、宮廷生活、文化のエジプト化と国際化が強引に行われた。 このことは、自治を奪われた各部族特に、北イスラエルの部族の反発を招き、ソロモンが死するや否や、たちまち、北イスラエルは、「ダビテの家に我々の受け継ぐ分が少しでもあろうか。エッサイの子と共にする嗣業はない。イスラエルよ、自分の天幕に帰れ。ダビテよ、今後自分の家のことは自分で見るがよい。」 王上12・16、と宣言して分離独立してしまう。 このような政治的社会状況の中で書かれた 「ヨセフ物語」 は、ソロモンに批判的ではあるが、部族連合を維持して、何とか王国の分裂は防ぎたいと、「ヨセフ物語」 に託して、ヤコブ・イスラエルの兄弟として、各部族はユダ族・ヨセフ族を中心に、和解と結束を願った当時の知識人の願望を反映しているように思える。 若しかしたら、このヨセフ物語りの作者は、エフライム族出身なのかも知れません。 このように、当時の背景を理解すると、この 「ヨセフ物語」 は一段と興味深く読み取れるのです。 それが、聖書を「藪にらみ」する面白さであります。 2 ※2、ヨセフ物語の39章 「人妻の誘惑」 の種本として、「二人兄弟の物語」 と呼ばれるエジプト語の書物があるそうです。 BC14世紀に書かれた、この物語は、ソロモン時代エジプト文化の移入と共に、イスラエルに知られて、ヨセフ物語のヒントになったのではないか、と言われています。[禁忌の聖書]113頁、山本七平著、新潮社。
3 ※3、ヨセフ、エフライム族の重要性 申命記33章の 「モーセの祝福」 として、モーセが死に臨んで各部族に与えた祝福の言葉がある。 この中で、他部族には1、2節に過ぎないのに、ヨセフに対しては5節も当てて一番おおくの祝福を与えています。次にレビ族の4節です。 申命33・16〜17 「地とそれに満ちるものの賜物/ 柴の中に住まわれる方の慈しみ。それらすべての恵みがヨセフの頭に臨むように。ーーーー彼は諸国の民を角で突き倒し/ 地の果てにまで進み行く。見よ、エフライムの幾万の軍勢を。見よ、マナセの幾千の軍勢を。」 とあります。 エゼキ37・19 「主なる神はこう言われる。わたしはエフライムの手の中にあるヨセフの木、およびそれと結ばれたイスラエルの諸部族を取り、それをユダの木につないで一本の木とする。それらはわたしの手のなかで一つとなる。」 アモス6・6b 「しかし、ヨセフの破滅に心を痛めることがない」、15・15b 「ヨセフの残りの者を憐れんでくださることもあろう。」 詩編80・1 「イスラエルを養う方/ ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ/御耳を傾けてください。」 歴代上5・2 「彼の兄弟の中で最も勢力があったのはユダで、指導者もその子孫から出たが、長子の権利を得たのはヨセフである。」 4 ※4、新約聖書でも、それぞれの福音作者の主張 (暗黙の批判) が見られます。 「イエスとは誰か」 (高尾利数著。日本放送出版協会発行) 参照。 マルコ、マタイ、ルカ各福音記者の相違と批判が書かれています。 |
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