聖書の呼ぶ声
キリスト教歳時記 2008 7月号

2000年(平成12年)以来歳時記をお借りしている聖書の呼ぶ声はカトリックのホームページです。

青山学院はプロテスタント(メソジスト)ですが、聖書を全人類の大いなる遺産であり、希望である、として聖書研究の成果をインターネットで発表して下さっている「聖書の呼ぶ声」は、キリスト教徒でなくとも、聖書に興味を抱かせてくれるページと思い、歳時記、ほかを御紹介させていただいております。






7月は祭日がありません。典礼上、祝日より上位の祭日は特に、その土地、その時代の風土、習慣を起源として祭の日となりましたが、教会の暦の骨組として、キリストの生涯の主な出来事を一年周期に記念し、生活と信仰の一致のあかしとしています。降誕祭、復活祭は大祭日として知られていますが、この外聖霊降臨祭、聖母被昇天祭など、今年は計十七の祭日があります。
7-3
7月3日は『聖トマ使徒』の祝日です。
3 使徒聖トマは、見なければ信じないと言った近代的な実証主義者であると共に、またイエスを『神』と信仰宣言した使徒で知られます。

7-3-25

『聖トマス』 J・ラ・トゥール

グレコ「聖大ヤコブ」1597-1603 油彩
Museo de Santa Cruz, Madrid

トマス:復活をなかなか信じなかった厭世家  復活を信じないトマスの前にイエスが現れ、自らの傷口に触れさせる
参照:『西洋絵画の主題物語 T聖書編』 美術出版社





記念日は、11日が聖ベネディクト修道院長、15日がフランシスコ会の総長でもあった教会博士聖ボナベントゥラ、22日がマグダラの聖マリア、26日が、聖マリアの両親・聖ヨアキムと聖アンナ、29日がベタニヤのマリア(マグダラのマリアと同一視される)の姉の聖マルタとなっています。
7-22




7月22日のマグダラの聖マリアの記念日では、聖書は雅歌(3・1〜4a)が読まれます。カトリックの典礼で雅歌が読まれるのは、このマグダラのマリアの記念日と、待降節中(2・8〜14)の2回です。イエスを恋人のように慕い求める私たちの気持ちを表現します。

サヴォルド[マグダラのマリア]1530
The National Gallery, London














3:1

夜ごと、ふしどに恋い慕う人を求めても/求めても、見つかりません。
3:2


起き出して町をめぐり/通りや広場をめぐって/恋い慕う人を求めよう。
求めても、あの人は見つかりません。
3:3

わたしが町をめぐる夜警に見つかりました。
「わたしの恋い慕う人を見かけましたか。」
3:4


彼らに別れるとすぐに/恋い慕う人が見つかりました。
つかまえました、もう離しません。
母の家に/わたしを産んだ母の部屋にお連れします。
マグダラのマリヤについては、「イエスの真の理解者は女性」を参照。
雅歌については、「雅歌・禁断の書?」を参照。
(『聖書の呼ぶ声』より)
.
「妹(マグダラの)マリアを非難するマルタ」 オラツィオ・ジェンティスキ
1620年ごろ キャンヴァス アルテ・ピナコテーク ミュンヘン
7-25
7月25日は『聖ヤコブ使徒』の祝日です。
聖ヤコブは、使徒ヨハネの兄弟で、大ヤコブといわれ、殉教して、スペインのサンチャゴにその遺体が安置されて、巡礼地となっています。
ガリラヤの漁師の子で福音書記者聖ヨハネの兄。「雷の子」と呼ばれるくらい激しい性格ので使徒のうちでもキリストに近い人です。


グレコ[聖大ヤコブ]1597-1603 Museo de Santa Cruz, Madrid
arnibal

聖書の呼ぶ声       

主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。
彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。
イザヤ書2・4

聖書は全人類の大いなる遺産であり希望です。.
決して教会の独占物ではありません。
その万人の宝を、現代的視点で 読み直すと、その時代の証言としての「聖書の声」が聞えてきます。
聖書は人生に似ている。
聖書とは、宿題を投げ与える本である。
―― 遠藤周作 「私のイエス」より 聖書の呼ぶ声 まえがきより

聖書は全人類の大いなる遺産であり希望です。決して教会の独占物ではありません。
その万人の宝を、現代的視点で 読み直すと、その時代の証言としての「聖書の声」が聞えてきます。
聖書は人生に似ている。聖書とは、宿題を投げ与える本である。――遠藤周作「私のイエス」より

歳時記をお借りしている「聖書の呼ぶ声」はカトリックのホームページです。

青山学院はプロテスタント(メソジスト)ですが、聖書を全人類の大いなる遺産であり、希望である、として聖書研究の成果をインターネットで発表して下さっている「聖書の呼ぶ声」は、キリスト教徒でなくとも、聖書に興味を抱かせてくれるページと思い、歳時記、ほかを御紹介させていただいております。
編集画像挿入:青山学院校友会/千葉県東葛支部HP編集部

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イエスと12人の弟子
遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子
芸術新潮 1997年10月号


        『聖トマス』 J・ラ・トゥール
「ヨハネによる福音書」によれば、復活したイエスが最初に弟子たちの前に姿を現したとき、たまたまトマスはいなかった。後でそのことを聞かされたが、「手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹の傷口に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と頑なな態度にでた。数日後、イエスは再び弟子たちの前に現れた。今度はちゃんとトマスもいた。イエスは彼に「手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく信じる者になりなさい」と諭した。トマスは叫んだ。
「わたしの主、わたしの神よ」。するとイエスは皮肉まじりに言い聞かせた。「わたしを見たから信じたのか。見ずとも信じる人は幸いである」

だが、伝説ではその後もトマスはやっぱり疑い深かった。
イエスが亡くなり十年以上の歳月が流れたある日のこと、聖母マリアが天に召されることになった。布教のため各地に散っでいた使徒たちが集められ、彼女の最期を看取った。埋葬を終え墓を守っていると、大勢の天使がやってきた。すると聖母は墓から起き上がり光に包まれて天にのぼっていった。自力で昇天したイエスに対し、これを聖母マリアの被昇天という。
ところがこの大事な瞬間に、またしてもトマスは座をはずしていた。もどってきた彼はことの次第を説明されても“見てないので”信じない。すると、不意にそこへ空のかなたから腰紐が降ってきた。聖母が証明のために計らの身に巻きつけていたそれを投げ与えたのだった。一説によれば、さすがのトマスもこれには参ってしまい、この腰紐を鉢巻代わりにして頭に巻きつけ、勇ましくもインドへ伝道に旅立っていったという。

トマスのインドでの布教を語る伝話はいくつかあるが、なかでも彼の持物である“大工定規”の由来となったのが次の話である。
トマスはもともとインドに行く気なんてこれっぽっちもなかった。
ところが、インド王が優秀な大工を探しているので行けというイエスのお告げがあった。
「いやです」と断ったが、教えを広めるためにも行ってこいという。遠いし、人種の違う自分が真理など語れないと思ったが、あきらめてインドへ渡った。トマスはまず王のために壮麗な宮殿の図面を引いてみせた。プランは受け入れられ王から莫大な建設資金を渡された。ところが彼はそれを貧しい人々に分け与え、多くの人をキリスト教に改宗させたのだった。だまし取った金で民衆を釣ったようなものである。だがこんなことはすぐにばれ、激怒した王はトマスを地下牢にプチこみ生皮を剥いで火あぶりにすることにした。すると突然、奇蹟がおこり以前に死んだ王の弟がよみがえった。そして「天国でトマスが王のために建てた宮殿をみた」と告げたので、王はあの図面がそれだったのかと気がつき回心したという。
この話はトマスを大工と建築家の守護聖人にもした。特に中世の職人たちに人気があり、大聖堂の工事にたずさわった彼らの組合は、しばしば聖トマスの一生を物語るステンドグラスを寄贈したという。

彼がどこの出身で、イエスの弟子となる前は何をしていたのか、なぜイエスに従うことになったのかなどはよくわからないバ伝説によれば、インドのほかパルティア(今のイラン北東部)でも布教し、最期は南インドでバラモン教徒に槍で突き殺され殉教したという。このことからトマスは槍を持物とすることもある。


イエスと12人の弟子
遠藤周作で読むイエスと十二人の弟子
芸術新潮 1997年10月号


グレコ「聖大ヤコブ」1597-1603 油彩
Museo de Santa Cruz, Madrid

ヤコブ
魚屋のせがれは怒らっほいが頼みになるスペインの守護聖人

ヤコブもまた漁師あがりである。ぺトロ、アンデレ兄弟とはよくいっしょに漁にでかける仕事仲間だった。
“奇蹟の大漁”におどろいてぺトロがイエスに弟子入りする一部始終を、ヤコブは仕事の手を休めてみていたにちがいない。そしてやっぱり開いた口がふさがらなかったにちがいない。
 だから、ペトロたちとわかれたイエスがヤコブの舟に近づき、ひとこと「私についてきなさい」というとすぐ弟子入りしてしまうのである。ほんと、みんな奇蹟によわい。

 ヤコブはヨハネの兄である。そしてふたりの母サロメはイエスの母マリアの従妹である。ということはヤコブとイエスは親戚になる。ヤコブ、ヨハネの兄弟がぺトロとともにイエスの“側近”だったのはそのへんの事情もあるのだろう。
 親戚だけにこの兄弟はちょっとずうずうしかった。
一行がエルサレムへむかう途中のことである。
イエスは死を覚悟している。でも彼の人気が復活したころだから弟子たちは浮れている。
ヤコブとヨハネが黙々と歩きつづけるイエスに声をかけた。
 「ちょっとお願いが……」
 「なんだ」
 「先生がえらくなったら私たち兄弟を右大臣、左大臣のポストにつけてくれませんか」

またか、とイエスはうんざりしたろうと思う。こいつらは出世のことしか頭にないのか……。
このやりとりをきいたほかの弟子たちもさわざはじめた。「おい待てよ、ずるいぞ」
 「しずかにしなさい。それじゃ世間の人々とおなじじゃないか。おまえたちがほんとにえらくなりたいのなら、みなの奴隷になりなさい」
まったく、世話の焼ける連中である。

こんなこともあった。
イエスと弟子たちはサマリヤ地方を旅していた。もう夕暮れである。そろそろ宿の手配をしないといけない。
だがサマリヤ人たちはイエスをよく思っていなかった。どこへいってもことわられた。
激怒したのはヤコブとヨハネである。

「ちくしょう! 先生、火を放ってこいつらを焼き殺してしまいましょうか」
「バカもの!」
イエスはこの兄弟に“雷の子”という仇名をつけた。カミナリ親父ならぬカミナリ兄弟で、とかくキレやすいふたりにはぴったりである。さすが先生、よくわかっている。

イエスの死後、“雷”ヤコブは布教にとびまわった。はるばるスペインまで宣教にでかけて弟子をエルサレムにつれてきている。いまでこそ飛行機ですぐだが当時は徒歩である。あるいは舟である。
この漁師出身のカミナリあんちゃんは頑丈な体をもち、また声も大きかった。説教がききとりにくかったというから、その声もカミナリのようなガラガラ声だったのかもしれない。

ヤコブの肖像は旅姿が多い。巡礼の杖をもち、ズダ袋を背負っている。
そしてホタテ貝。彼の持物がホタテ貝なのは、地中海をまたにかけた“海の男”だからだろうか。
だがそんな鉄人も最期は無惨だった。

キリスト教の連中はユダヤ教の一派でありながら律法をまもらない。彼らを反ユダヤの異端にしたでれば民衆の怒りもそこにむかうだろう……。
王の姑息な保身の犠牲になったのが教団の幹部だったヤコブである。首をはねられた。
勇敢なカミナリ野郎のことだから、最後まですこしもひるまなかったにちがいない。刑場にひかれていく途中、道ばたにいた足なえを奇蹟で立たせている。ヤコブを縄でひいていた男はその奇蹟におどろいてキリスト教に回心、ヤコブとともに打ち首にされたという。

しかしヤコブの死後も迫害がつづくエルサレムでは彼の墓をつくることもできないセンセの亡骸はオレたちがまもる、そう決意したスペイン出身の弟子たちはヤコブの遺体を舟にのせ、夜陰にまざれて大海へこぎだすのである。
潮に流されるまま地中海をわたり、やっとたどりついたそこはイベリア半島、みごとわれらのスペインだった。これもセンセのおかげだ、と弟子たちは泣いてよろこんだことだろうと思う。

そんな苦労のかいもあって、いまセンセの墓のうえには立派な寺院が建っている。ヤコブを配るサンティアゴ・デ・コンポステラ大聖堂はエルサレム、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂とならぶカトリック三大巡礼地のひとつである。十二世紀には年間五十万人もの巡礼客がおとずれたという。もちろんいまも多くの人が山道をせっせと歩いてこの地をめざす。出世しましたねえ、と“雷の子”に声をかけたい気がする。
十世紀からはじまったこのヤコブ・ツアー、じつにたくさんの人々が参加しただけにエピソードも多い。

そのなかから今回は「鳥の奇蹟」。
ドイツからやってきた親子の話である。父母と息子の三人づれ、その息子がまたとびっきりのハンサムだった。
巡礼路の途中で宿屋に泊る。宿屋には年ごろの娘がいる。ハンサム君にひとめぼれした彼女はモーレツに彼を誘うが「とんでもない。僕は聖地をめざしているんですよ」と息子のほうはとりあわない。とうぜんである。ヤコブまいりをすますまでは清潔でいなくちやいけない。

女はこわい。
なにをするかわからない。ふられた娘は出発するハンサム君のバッグに銀のコップをかくした。そして泥棒だと訴えにハンサム君はつかまった。盗みの罪は絞首刑ある。親は泣いた。かなしみに暮れながらそれでも巡礼をつづけた。そして帰り道、また刑場に立ちよるとなんと息子は生きている。そして息子のとなりにはあのヤコブ様がニコニコしながら立っている。
「息子は無実だ! まだ生きてるから罪を取消してくれ」。親は裁判所へどなりこんだ。そのとき裁判官はヤキトリを肴にワインをのんでいた(たぶん)。ほろ酔いかげんの彼がヘラへラ笑いながら「あいつが生きてるって? それがほんとならこのヤキトリだって生きてるよ」といったとたん、皿のヤキトリはピヨと鳴いて空に舞いあがり、窓から外にとびだしたという。ハンサム君も無事保護された。

ヤコブ様、ありがとう!


























































『聖トマス』 J・ラ・トゥール


サヴォルド[マグダラのマリア]1530
The National Gallery, London

グレコ[聖大ヤコブ]1597-1603
Museo de Santa Cruz, Madrid

カラバッジオ[ユディトとホロフェルネス] 1599
Galleria Nazionale Arte Antica Palazzo Barberini, Roma


『燃える炎のあるマグダラのマリア』
J・ラ・トゥール


アローリ[ユディト] 1613 Kensington Palace, London


  
クリムト[ユディトU] 1909
Galleria Internationale Arte Moderna,Venezia