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ロータリー史関連文   目 次

ロータリーの誕生
当時のアメリカ
倫理に関する11ヵ条 大正4年(1915) サンフランシスコ大会において採択  
ライオンズクラブ訪問記
大連ロータリークラブの ロータリー宣言 第70地区(日本満州一体地区) 昭和11年
大連ロータリークラブの ロータリー宣言 について
 『 ロータリーの友 』 友愛の広場  1998年
昭和44〜45年 改訳終了した 現在の綱領
ロータリーの根幹 政治家の職業倫理
『 ロータリーの友 』 友愛の広場 1997年5月号 VOL.45
ロータリーの民間外交   きっかけは小学生!
国を越えた友情  東京極東国際軍事裁判挿話  昭和21〜23年 会長挨拶
東京裁判の管轄権問題についての
米国人弁護人・ブレークニーの補足動議  昭和21年5月14日
松戸ロータリークラブ会報  平成8年10月16日号***
「東京裁判」 アメリカ人弁護人に見る職業倫理・公平性
職業奉仕月間にちなんで会長挨拶
職業奉仕情報の必要性 『 ロータリーの友 』 友愛の広場  1996年2月号
規定審議会提出 制定案 について 『 ロータリーの友 』 友愛の広場 平成10年3月号
松戸ロータリークラブ創立  昭和31年(1956)
ミュンヘンロータリークラブ訪問記


ロータリーの誕生


明治38年  シルベスター・シール (シカゴクラブ会長 ※)
1905   ※ロータリークラブ会長は明治43年から
 総理大臣 桂 太郎    米大統領 T.ルーズベルト

 奉天会戦・日本海海戦(日本海海戦に初の無線電信活用)
 日本樺太上陸
 日露戦争勝利 ポーツマス講和会議(小村寿太郎)
 講和反対の新聞発禁
 日本初のメーデー 日比谷焼討事件(講和反対)
 夏目漱石「我輩は猫である」 孫文・中国革命同盟会結成
 【ロシア】血の日曜日 相続税法・塩専売法公布

 松戸
 相模台に松戸競馬場開設

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当時のアメリカ
  ◆不況のドン底  破産に瀕する会員
  ◆シカゴは移民者の寄合い
  ◆アル・カポネ等ギャングの横行
  ◆年間400件の殺人事件

当時のシカゴ
  ◆「 中部アメリカの熔鉱炉
  ◆「悪徳と腐敗の町
  ◆「悪臭と汚濁 」・・・ しかし “ I  Will ”・・・「 やる 」 精神に燃え立つ都市!


1905 明治38年 「一業種一人」でクラブ結成のアイデア実行 → ロータリークラブ結成

    会場の回り持ちと 1業種 1人制  
    全員異業種  気取り・見栄なし ホラ・コボシ話


アメリカの数多くのクラブ


・・・・・ユダヤ人クラブ・大学卒業生のクラブ・弁護士クラブ等
・・・・・いずれも立派な会館を持ち経営
               諸事情により会員間に等差発生

ロータリークラブ



・・・・・職業分類によりあらゆる会員が全く平等の立場 
               好評・入会者増大
・・・・・庶民クラブ・会館持たず交替会場
               引越し → ロータリーと命名
クラブ記章は馬車の車輪(引越しを表現)
(1912 大正元年 マークを馬車の車輪からギアに変更)

職業分類方式・・・各クラブに広汎な視野を与える 会員平等の原則を貫く
自分の会館なし・・世界的発展の原因 ・ 現在も会館を持たない方針は貫徹

ロータリークラブ会員

:実業人・専門職業人・・・話題は商売
一業一人・・・親密親睦の間柄を育成

かつてもあった 1業種1人制 クラブ
古くは古代ギリシャ時代
「ロータ」 (17世紀初のロンドン)
「ローテ−ション・クラブ」(18世紀後半)
1業種1人クラブ  
「2ペニー・クラブ」(米)
「ジャンツ・クラブ」(米)
フランクリンが職業別会員制の友好と 向上を目指してフィラデルフィアに作 ったクラブ(40年継続)

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しかしこれらのものとロータリーの違うところは奉仕の理想を追及する熱意のはげしさと強さ




ロータリー運動の発芽期としては20世紀初頭ほど絶好の時期はなく、同時にそれを育成して確固たる方向を示すべき土地としては、この 攻撃的な、男性的な しかも “エセ理屈” の多いシカゴの地ほど適切な都市はなかった・・・
P・ハリス
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大正4年(1915).
「倫理に関する11ヵ条」  “The Rotary Code of Ethics”
大正4年(1915)  サンフランシスコ大会において採択
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第1.

わが職業は価値あるものであり、世に奉仕する絶好の機会が与えられていると考えるべきこと。

第2.



わが身を修め、わが能率を向上し、わが奉仕を拡大すべきこと。
そうすることによって 「もっともよく奉仕するものもっとも多く報いられる」 というロー タリーの基本原則に対して忠実なることを立証すべきこと。

第3.


われは実業人であり成功の野心をいだいていることを認める
同時に道徳を重んずる人間であり、最高の正義と道義に基づかざる成功はこれを欲するも のではないと自覚すべきこと。

第4.



わが商品、わがサービス、わが創意工夫を利益を目的として他と交換するのは、合法にして道徳に基づくとの信念をもつべきこと。
ただしすべての当事者がこの交換によって利益を受けることを前提とする。

第5.



わが職業の標準を向上させるために最善の努力をいたし、その結果、わが業務のすすめかたは賢明にして利益をもたらし、この実例にならえば幸福への道が開かれることを同業のものに悟らしむるよう実践すべきこと。

第6.



わが競争者と同等、ないしそれ以上の完全なサービスをなしうるような方法をもって業務を運営すべきこと。
もし疑わしい際には厳格な意味の責任業務をこえて一層のサービスをおこなうこと。

第7.



専門家あるいは実業人の最大の資産のひとつはその「友人」であることを理解すべきこと。
そして「友情」を通じて得られたものこそ妥当なものであることを理解すべきである。

第8.


ほんとの友人は互いに強要するものではなく、利益のためにみだりに友人の信頼を用いることはロータリーの精神に一致せず倫理訓を汚すものである。

第9.



他の人が行なわないような不正の方法によって機会を利用して得た成功は合法的でなく道徳にも反する。
また道徳的に疑わしいため他の人の採らない機会に乗じて得る成功などは欲しないこと。

第10.





われは一般の人以上にロータリアンたる友人を拘束することはしない。
ロータリーの原則は 「競争」 ではなく 「協力」 であるからである。「党派心」 はロータリーのごとき制度においてはあってはならない。人格はロータリー内に限られるものではな く広く人類一般に深く根差すものであることを認識し、すべての人や社会制度をこの高遠 な理想に向かわしめるためにロータリーは存在するものである。

第11.



最後に「すべて人にせられんと思うことは人にもその通りにせよ」という黄金律(※山上の垂訓)の普遍性を信じ、地上の天然資源に対してすべての人に均等な機会を与えられてこそ人間社会は最良の状態になるということを主張するものである。

この倫理に関する11ヵ条は、まさに現在の日本に最も必要な職業倫理の11ヵ条である。
昭和2年(1927年) に頒布中止されたとのことだが、大連RCのロータリー宣言とともに、簡略化して復活させるべきもののように思う。
稲葉
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昭和11年
第70地区時代 日本満州一体地区 (昭和3年)

大連ロータリークラブの「ロータリー宣言」
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第1.



須らく事業の人たるに先立ちて道義の人たるべし
蓋し事業の経営に全力を傾倒するは因って世を益せんがためなり。
ゆえに吾人は道義を無視していわゆる事業の成功を獲んとするものに与せず。

第2.



正否を曰うに先立ち、退いて、義務を尽くさむことを思い、進んで奉仕を完うせんことを念う。
自らを利するに先立ちて他を益せむことを願う。
最も能く奉仕するもの、最も多く満たされるべきことを吾人は疑わず。

第3.



あるいは特殊の関係を持って機会を壟断し、あるいは世人の潔しとせざるに乗じて巨利を博す、これ吾人の最も忌むところなり。
吾人の精神に反してその信条を紊るは、利のため義を失うよりはなはだしきは無し

第4.



義をもって集まり、信をもって結び、切磋琢磨し、相扶け相益す
これ吾人団結の本旨なり。
しかれども党をもって厚くすることなく、他をもって拒むことなく、私をもって党する者にあらざるなり。

第5.





徒爾なる角逐と闘争とは世に行わるべからず、協力をもって博愛平等の理想を実現せざるべからず。
しかり吾が同志はこの大義を世界に敷かむがために活躍す。

吾がロータリーの崇高なる使命ここに在り。その存在の意義またここに存す。
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“蘭の花 枯れるもアカシア種残し”
満州(国花は蘭)は消えたが、「大連RCのロータリー宣言」 は残った。
倉庫のなかにしまったままになっている 「名宣言」 の復活を期待。
アカシアは大連の花・・・「アカシアの大連」といわれた


大連RC初代会長松岡洋右

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大連ロータリークラブの「ロータリー宣言」

稲葉八朗
『ロータリーの友』 友愛の広場  1998年
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このR宣言は、ロータリーは 「奉仕団体」  としてよりも、まず「事業をする者の心構えをもってその根幹とする団体」であることを明快にしたものであり、これは当時の地区において大好評を得たとのことである。

日本のロータリアンにとって、ロータリーの基本である職業奉仕は、ロータリーの四大奉仕の中でもっとも難解とされている。

しかし、 たとえ語体は戦前のものであれ、この宣言ほどいわゆる職業奉仕を簡潔、明快に表現しているものはないように思えると同時に、これこそを 「ロータリー宣言」 の第1としたことに先人の英知、識見を感ずる。

RIの翻訳規制も原因なのだろうか、『ロータリーの綱領』 をはじめ、戦後のロータリーの宣言等のほとんどは、けっして 「我々の言葉」 になっているとはいえないものであり、それが職業奉仕のみならず、ロータリーそのも のを難解にしているのにひきかえ、この宣言は、まさしく正しい明快な日本語によって、簡潔にロータリーの真髄を現わしたたものの うに思う。

当時の軍閥による政治体制への反省からか、 昭和20年以前の自らの歴史のなにもかも、全否定するかのように、この宣言も倉庫の奥にしまいっぱなしにしていたのだろうが、職業倫理観をはじめ、精神基軸の喪失に起因すると思われる経済・社会の混乱の直中にある日本において、今こそ、我らの先人の遺した正しい日本語による、明快な 「普遍の職業倫理観」 に基づくこの宣言」を再評価し、その復活を検討するべきではないだろうか。

今一番必要なものはこの第1。
このままでも名文だが、適切な現代語訳も、全国のメンバーにお願いしたいものである。
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昭和44〜45年 改訳終了した現在の綱領

ロータリーの綱領
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ロータリーの綱領は有益な事業の基礎として奉仕の理想を鼓吹し これを育成し 特に次の各項を鼓吹育成するにある

第1・ 奉仕の機会として知り合いを拡めること

第2・



実業および専門職業の道徳的水準を高めること
あらゆる有用な職業は尊重されるべきであるという認識を深めること
ロータリアン各自が職業を通じて社会に奉仕するためにその職業を品位あらしめること

第3・

ロータリアンのすべてがその個人生活、職業生活及び社会生活に常に奉仕の理想を適用すること

第4・

奉仕の理想に結ばれた実業人と専門職業人の世界的親交によって国際間の理解と親善と平和を推進すること
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ロータリーの根幹  政治家の職業倫理
稲葉八朗

『ロータリーの友』 友愛の広場 1997年5月号VOL.45
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昭和12年1月21日、第70議会において、議会政治の根底に関わる問題、いわゆる 「ハラキリ問答」 が発生した。

政友会・浜田国松代議士の軍部批判に対する広田内閣の陸軍大臣寺内寿一の答弁。
 「浜田君のお言葉はいささか軍人を侮辱さるる感じがする

浜田代議士
私は九千万の国民を背後にしている公職者である。 あなたから忠告を受けねばならぬことがあるなら、私は割腹して天下に謝さねばならぬ。 速記録を調べて僕が軍隊を侮辱した言葉があったら割腹して君に謝す。 なかったら君、割腹せよ!」

近衛文麿

2日後、広田内閣は総辞職する。
 「一つの演説」が内閣を倒した。

だが、引き継いだ林銑十郎内閣は政党をつぶすための内閣として、組閣後2カ月で抜き打ち解散。
総選挙は政友会、立憲民政党の圧勝であったが、組閣の大命は民意と異なり青年貴族宰相/近衛文麿に下り、その第1次近衛内閣において蘆溝橋事件、日中全面戦争の泥沼に突入した。 (その後1年半で総辞職)



昭和15年2月20日、支那事変処理に関して立憲民政党斎藤隆夫の舌鋒火を噴く演説。

斎藤代議士
聖戦の美名に隠れて、いわく国民主義、道義外交、共存共栄、世界の平和等、雲をつかむような文字を並べ立てて国家百年の大計を誤るようなことがあれば、政治家は死してもその罪を滅し得ない。

この事変の目的はどこにあるかわからない
国民は悲憤の涙を流しつつ従順に、黙として政府の統制に服従し、事変を解決してくれることを期待している。
国を率いる政治家はここに注目するべきである。
しかるに事変以来二年有半の間に内閣は三度も総辞職し(近衛・平沼・阿部内閣)、政局の安定すら得られない状態でどうしてこ の国難にあたることができるか!」

内閣書記官長が演説の一部(前記赤文字)を不穏当として、議事録からの削除を要求。
斎藤代議士には全国から激励の手紙、中には点字の激励文も寄せられたが、問題は斎藤の代議士除名へと進み、3月7日、議会は斎藤隆夫の議員除名を決定した。反対するものは7名。
斎藤曰く 「奈落の底だよ」


日本の破滅を必死にくい止めんとした少数の政治家の 「熱烈な職業倫理」 に基づいた議会活動であったが、政党は自ら政党政治を終焉させ翼賛選挙とし、結果、日本は破滅した。

戦前の 「精神主義」 「統帥権の限りなき拡大解釈」 は、戦後は宗教的倫理観のないままの、限りなき経済優先、自由、そして憲法までの拡大解釈に変った。

その精神的後遺症こそが国債発行残高 240兆円を抱えた 「幻の金満国家」 を作り上げ、その間いわゆる 「バブル」 を招き、今、連日の政・官・財界を含む破廉恥の極み・絶望的な 「金まみれの経済犯罪」 報道なのではないか。
そして勤労の報酬としてでなく  「金だけがすべて」 の風潮は健全であるべき青少年の精神まで蝕んでいる。
 
大正九年に 「勤労を尊ぶ日本」 に移入され、時には苦難の道も歩みつつ根付いたロータリー。
遅まきながらでもよし。
たとえ少数派といわれても、今こそプロテスタンティズムの倫理に基づく、その根幹たる職業倫理 (職業奉仕) を大きく掲げるべきではないか。

それともロータリーはこうした日本の現状にあっても、本来の役割を、また自身を省みず、美辞麗句を並べ、 「いわゆる奉仕をばらく極楽トンボ」 を続けるのだろうか。
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  “子供らが ロータリー史に名をとどめ”

  “子供らが オヤジに教えたすごいこと”

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ロータリーの民間外交    きっかけは小学生!
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昭和3年、中国の本格的な抗日行動を呼び起こした関東軍の策謀・張作霖爆殺事件は、近衛内閣時 (昭和12年) の蘆溝橋事件・対中国戦争へと繋げ、のちにはアジアを巻き込んだ全面戦争の泥沼へと突入させました。

昭和12年、中国との戦争中、日本海軍航空隊は上海でアメリカの砲艦/パネー号を誤爆撃するという事件を起こしました。

その時、東京の小学生がアメリカ大使館に弔慰金を持っていったことがきっかけとなり、神戸、広島、西宮のロータリークラブは、諸団体ととも日米協会を通じて弔慰金、弔慰文送りました。

東京クラブも会員・芦田 均 (後の首相)、伊藤正徳 ( 『大海軍を想ふ』 『連合艦隊の最期』 著者) ほか1名を国民使節として米国に派遣しましたが、在米の日本ロータリアンもロータリーを通じて日本の立場の了解を求めて東奔西走したことを 『 ロータリー日本50年史 』 は記録しています。

結果として、その後の日米関係は最悪の事態にいたったものの、これは政府ではなく当時の “民間人” (小学生までが!) が持っていた国際政治に対する認識の記録であるとともに、日本ロータリーが、おそらくは良識ある民間人の使命感を持っておこなったであろう、国際活動の記録として、さらに現在の日本ロータリーにおいてとかく無視されがちな 「政治問題への健全な係わり方」 としても、心に留めておくべき記録であると感じます。
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『ロータリー歴史年表』(拙著)

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東京極東国際軍事裁判 昭和21〜23年

東京裁判 「 国を越えた友情 」

会長挨拶
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ほんとの友人は互いに強要するものではなく、利益のためにみだりに友人の信頼を用いることはロータリー精神に一致せず、倫理訓を汚すものである・・・・
(「倫理に関する11ヵ条」の第8)

東京裁判に於いて被告本人による証言は1回だけ認められていたが、その権利を放棄した被告の一人に重光葵もいた。

証言台に立たない重光のかわりに、弁護人ファーネスは重光に有利な供述書を求めて英米に飛んだが、その時重光は 「友情を利用するようなことはしたくないから、相手がすすんで証言してくれること以外は求めないで欲しい」 旨を伝えた。 (ファーネスはその後「私は貝になりたい」に特別出演した)

しかし、かつて重光が外交官生活を通じて知り合ったアメリカ・イギリス人の友情に満ちた供述書が次々に提出された。
重光の誠実な外交官生活の証しである。

重光はその日の日記に記るした。

国際間の公私の仕事の関係に於いて信頼を得ることほど大切なことはない。しかも戦争において公に敵味方になる場合には深刻な試練に合う。
国際間において国家を超越して得たこれらの証言は、私の困難な一生を通じて得た立派な報酬として、感謝と誇りを持ってこれを受けることにした


これは記録映画、小林正樹監督の 『東京裁判』 【講談社版】 に記録されたものです。
東京裁判については様々な論評がなされています。
しかしこれは政治的な問題としてでなく、「国家間の問題に携わる個人の姿勢」 として共感を覚えた一節です。
とかく 「情」 と 「責任」 をいっしょくたにして、かつ 「坊主憎さのあまり袈裟まで憎んだ」 証言等を引き出した東京裁判のなかで、ムラ(村)を越えた交流の爽やかさを伝えてくれた挿話と感じ、ご紹介させていただいた次第です。
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松戸ロータリークラブ会報  平成8年10月16日号
「 東京裁判 」 におけるアメリカ人弁護人に見る職業倫理・公平性
職業奉仕月間にちなんで会長挨拶
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昭和21年5月14日 「東京裁判の管轄権問題」について
清瀬一郎弁護人、J・ファーネスに続く・・・・・・・・
米国人弁護人・ブレークニーの補足動議
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(ファーネスはその後「私は貝になりたい」に特別出演した)

戦争は犯罪ではない
戦争法規があることが戦争の合法性を示す証拠である
戦争の開始、通告、戦闘の方法、終結を決める法規も戦争自体が非合法ならまったく無意味。
国際法は国家利益追及の為に行なう戦争をこれまでに非合法とみなしたことはない。

歴史を振り返ってみても、戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれたためしはない。
我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。
しかしそういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。
“平和に対する罪”と名付けられた訴因は、ゆえに当法廷より却下されねばならない。

戦争はどんな戦争であれ犯罪ではない
まして戦争に伴なう人命殺傷は犯罪者の殺人と違う。それは殺人罪ではない。
戦争が合法だからである。つまり合法的な人殺しなのだ。
殺人行為の正当化である。
例え嫌悪すべき行為でも犯罪としての責任は問われない。これを問うことは、戦勝国の殺人は合法的だが、敗戦国の殺人は非合法だというのに等しい

【日本における裁判速記録において、以下は “通訳なし”となっている】

「もしキット提督(真珠湾攻撃の際戦死した米太平洋艦隊の提督)の死が真珠湾空襲による殺人罪になるならば、我々は広島上空に原爆を投下した者の名前をあげることができる。

投下計画した者の名前を挙げることができる。

投下を計画した参謀長の名を承知している。
その国の元首の名前も我々は承知している。
彼らは殺人罪を意識したか?  ・・・してはいまい。我々もそう思う

それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである

何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。

原爆を投下したものがいる。
この投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認したものがいる。
その人たちが裁いている。彼らも殺人者ではないか・・・・・・
参考・記録映画 小林正樹監督「東京裁判」講談社版
恩讐を越え、前年までの敵國・日本の指導者被告の利益のために、原爆問題まで持ち出したアメリカ人弁護人の、おそらくは職業倫理に基づくフェアーな弁護活動に、法廷は感動したそうです
松戸RC会報第1983号 平成8年10月16日例会
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職業奉仕情報の必要性

稲葉八朗

『ロータリーの友』友愛の広場 1996年2月号
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日本のロータリー情報において 「決議23−34」 はしばしばロータリーの最重要決議として紹介されている。
もちろんロータリー分裂の危機を到来させた社会奉仕の方法論争の解決策として、重要な決議であることは間違いない。

日本において、大正9年に結成されたロータリークラブは、昭和15年のRI脱退、そして昭和24年の復活承認などを経て、現在クラブ数2000余、会員12万人を越え、世界の1割に達する巨大組織となったがゆえか、各クラブの活動は豊富な社会奉仕情報によって、あたかも社会奉仕活動競争の観を呈しているものの、いわゆる 「職業奉仕情報」 は比較的少なく、またロータリー発生の源である 「職業」 についての根本的論議はあまりなされていないようである。

明治38年、経済恐慌・人心荒廃のシカゴで憂鬱な日々を送る庶民が、心の許せる仲間を求めて “BOOSTER” 「総合援助」 を目的に集い、商売繁盛の方法の検討からロータリーは出発したのであって、当初から救世主的な意図を持って作られたものではない。

つまり商売繁盛の方法の検討 → 商売道徳の高揚に着目 → 相手の身になって職業に励む → ロータリアンの職業成功者続出。
すなわち親睦友愛職業奉仕社会奉仕国際奉仕の経緯で現在にいたったのである。

キリスト教、特にプロテスタンティズムの職業倫理観をその根本としているゆえか、欧米のロータリーは創立直後から現在にいたるまで 「職業観」 についての自己内省や、「サービス」 「プロフィット(もうけ・利益)」 という言葉について 「決議23−34」 に負けずとも劣らぬ数多くの素晴らしい期論・決議を重ねてきた。

ピューリタン国家・アメリカ・シカゴ庶民の間で職業を問題として発生したロータリーは、大正9年に宗教への関心の薄い日本ではまず東京・大阪の一流の名士に取り入れられた。

さらに3年後の関東大震災への救援もあって、最初から 「社会奉仕団体」 として強く印象づけられたのではないか。

ロータリーの 「綱領」 の変遷、またRIの歴史に登場するさまざまな決議や (大正4年の倫理規定11ヵ条他ほか)、真剣な論争(「超我の奉仕」論争、明治43年から昭和52年に至る 「プロフィット」 に関する論争など)のなかに、職業の哲学に挑む欧米ロータリアンのロータリー観を感ずる。

財政復興真っ只中の日本のロータリーは今こそ、「対外奉仕」 以上に、「職業奉仕情報」(職業観再考の意味)を伝達するべきではないだろうか。
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規定審議会提出「制定案」について
稲葉八朗

『ロータリーの友』平成10年3月号 友愛の広場
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3年に一度開催され(平成10年1月インドのデリーで開催された)、RI定款、RI細則、標準ロータリークラブ定款(クラブで使用しているもの)というRIの組織規定を改正するRIの立法機関 「規定審議会」 に提出される 「制定案」 が審議された。制定案は、クラブの諸会合・クラブ管理・会員身分の終結・出席・メークアップとして認められる会合と行事・出席免除・クラブの会員身分・名誉会員・クラブの区域・地区の管理・RIの管理・RIの諸会合・RI役員と選挙・ガバナー・RI財務と人頭分担金・立法手続・ロータリーの綱領・R財団・文言に関する立法等、 193案件にのぼった。

ロータリーの特色 「毎週例会」 を見直す案は過去幾度となく提出されたものの、その都度否決され続けているとのことだが、今回も 「7日に1度または14日に1度の例会開催を選択できるようにする」 「クラブと地区が最少例会数を決定できるようにする」 「隔週の例会開催の承認を申請できるようにする」 を含めて10案件(イギリス・インド・オランダ・アルゼンチンほか)、また綱領の改正 (四項目に綱領に教育・新世代・人権等を追加し、五項目とする) にもアメリカ・ウルグアイ・ブラジル・インドから6案件提出された。

規約 (聖徳太子の十七条の憲法・明治憲法・現在の憲法も含めて) の改正を好まず、規約を 「解釈によって弾力的に運用する」 という日本社会と、あくまで規約を尊重するがゆえか、否決され続けても粘り強く 「規約の改正」  に取り組む西洋社会の違いを感ずる。

しかし、諸外国との交流によってのみ成り立つ現代社会において、日本社会の 「規約を本音と建前で使い分ける」 認識こそ、改正されなければならないものではないか。

日本の提出案件は 「欠席した例会のメークアップ期間を短縮する件」 「シニアアクチブ会員の規定を改正する件」 および 「ガバナーノミニーの資格条件を改正する件」 であるが、国によって定款細則の関心事の違いのあることも、なかなか興味深いものがある。
はからずも規約改正年度にはじめて情報委員長の任務にあたり、今まではさして関心のなかった規定審議会への認識を新たにすることができたことに感謝したい。
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IN GOD WE TRUST (我々は神を信ずる)と LIBERTY (自由)が書かれているアメリカ紙幣・貨幣


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大正4年(1915)

「倫理に関する11ヶ条」 サンフランシスコ大会において採択
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第1.

わが職業は価値あるものであり、世に奉仕する絶好の機会が与えられていると考えるべきこと。

第3.




われは実業人であり成功の野心をいだいていることを認める。
同時に道徳を重んずる人間であり、最高の正義と道義に基づかざる成功はこれを欲するものではないと自覚すべきこと。
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昭和11年

大連ロータリークラブ 「ロータリー宣言」
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第1.




須らく事業の人たるに先立ちて道義の人たるべし。
蓋し事業の経営に全力を傾倒するは因って世を益せんがためなり。
ゆえに吾人は道義を無視していわゆる事業の成功を獲んとするものに与せず。
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松戸ロータリークラブ創立 (昭和31年)

もはや戦後ではない」 と言われ始めた昭和31年、松戸ロータリークラブは創立された。
日本においては、大正9年に東京に移入されたものの、まだ人口も疎らで、伝統的な商業、農業、そして地縁、血縁の交友がはばを効かせていた松戸に上陸してきたロータリークラブなる集団は、当時の松戸の町の旦那方の眼にどのように映ったのだろうか。
ついこの間までの敵・ 「鬼畜アメリカ」製の国際組織ゆえ、さぞかし様々な感慨もあっただろうが、習い始めた米式民主主義とともに、多くのカタカナ文字は、おそらくは設立に携わった若いメンバー (多くは現在の小生よりも若かった) の未知なるものへの旺盛な好奇心を呼び起こし、さらに新時代の到来を予期させ、そしてそれこそが創立期の推進力になったのではないか推測する。

例会時間の厳守
会員資格として一定の回数の出席義務




バッジのもとでは平等で、世界中どこのクラブにも出席できるという、旧体制の常識的階級観では考えられない制度   (旧宮様・旧財閥の当主も 「君」 で呼び、例会で同席できることへの驚きと感激・・・チャーターメンバーだった父が東京RCにメーキャップに行った時の感想)
聞き慣れなかったカタカナ文字への好奇心


平等に、クラブ会員が役割を分担して、それぞれが主体となって責任を持って運営してゆく民主的クラブ組織

こうしたクラブ運営は若いメンバーに、かつて 「一部の旦那衆の一言」 で事を決めてきたであろう松戸におけるアンシャン・レジームを変革させる新鮮さを抱かせた違いない。
しかも昭和31年はソ連においてスターリンの死後(小生中学1年)を引き継いだマレンコフが失脚し、新しい指導者・フルシチョフが 「ソヴィエトの神・スターリン」 を初めて批判し、その座から引きずり下ろした記念すべき年である。

近代は 「伝統的支配からの脱却」 「呪術の克服」 によって成立した。
松戸ロータリー創立の年は 「松戸の近代化」 という意味でも象徴的であったはずである。

残念ながらソヴィエトと同様に、その後の松戸市を含むあらゆる組織は、外観だけは民主主義の衣を付けただけに、もっとタチの悪い旧体制に変質し、無責任な指導者に翻弄されてきたという観がしないでもないが・・・・
『ロータリー歴史年表』(拙著)
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